参院選

 今度の参院選の争点は経済政策だとか言っていますが、アベノミクスはそろそろ限界が見え、選挙の結果に関係なくいずれ行き詰まるに決まっているので、議論しても意味がありません。安倍政権が終わった時、後に残るのは社会保障、財政健全化など先送りになった諸問題と、昨年成立した安全保障関連法だけです。
 これらの後始末を今の無能な野党が担うことになるのかと思うと頭が痛くなりますが、それでも今回、絶対に与党やその補完勢力に投票するわけにはいきません。参院選は政権選択ではなく現政権への中間評価なので、安倍政権のやり方に対する懸念の意思をはっきりと示さなければなりません。
 今回、与党に投票できない理由は、何と言っても安保法制・集団的自衛権・憲法9条をめぐる安倍政権のやり方です。

2012年12月 衆院選で勝利(自公で3分の2)、第2次安倍政権が発足
2013年 2月 安保法制懇(第1次安倍内閣の時に設置した首相の私的諮問機関)を再始動
2013年 7月 参院選で勝利(自民単独で改選議席の過半数、非改選含め自公で過半数)
2013年 8月 内閣法制局長官を交代させ、集団的自衛権行使容認派の小松一郎氏(元外務省国際法局長)を起用
2013年 8月 安保法制懇の議論が本格的に再開
2013年12月 臨時国会の会期延長、特定秘密保護法が成立
2014年 5月 安保法制懇が新たな報告書を提出(集団的自衛権の行使容認を提言)
2014年 7月 憲法9条の解釈変更(限定的な集団的自衛権の行使容認)を閣議決定
2014年12月 消費税増税延期を理由に衆院解散・総選挙(自公で3分の2を維持)
2015年 4月 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定(集団的自衛権の行使を具体化)
2015年 4月 安倍首相が米連邦議会上下両院合同会議で演説し、「安保法制の充実を夏までに成就させる」と発言
2015年 5月 安全保障関連法案を閣議決定し、通常国会に提出
2015年 6月 通常国会の会期を9月27日まで延長
2015年 7月 衆院で安全保障関連法案を可決(60日ルールによる成立が可能に)
2015年 9月 参院で安全保障関連法を可決、成立
2016年 3月 安全保障関連法の施行を閣議決定

 安全保障関連2法は実質的に11もの法律の改正・新設をまとめたもので、集団的自衛権の行使を可能にする存立危機事態の規定、従来の特別措置法に代わって自衛隊の国際貢献を恒久化するとともに後方支援を可能にする新法、さらにグレーゾーン事態への対応、自衛隊の行動範囲の地理的制約の撤廃、PKOの拡大、駆け付け警護など、これがチャンスとばかりにあれもこれも押し込んだもので、議論すればするほど疑問点、問題点が出てくるのは当然でした。もっと時間をかけて議論すべきだったのに、与党が昨年9月に成立させなければならなかった理由は、安倍首相がアメリカで「夏までに」と約束したこと以外には何もありません。
 閣議決定で憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、日米ガイドライン改定でそれを既成事実化。まだ国会の議論も国民の理解も進んでいないのに、アメリカに行って安保法制を充実させると約束。そして今は、「安全保障関連法を廃止すれば日米同盟の絆が断ち切られる」と国民を脅す。こんなやり方が許せますか?

 私が書くことは、次の衆院選の時には、よりはっきりと目に見える形になって現れているでしょう。それまでの間に安倍政権に勝手なことをさせない。今度の参院選のテーマはそれに尽きます。争点は「4年前の混乱と停滞の時代に後戻りするか否か」ではなく、「80年前の暗黒の時代に後戻りするか否か」です。
 日本を引き返し不能地点に行かせてはなりません。「ちょっと待て」と言う機会は、もうこの参院選しかありません。

都知事選

 「違法ではないが不適切」が今年の流行語になるかも、と思いましたが、それよりも、セコい人のことを「舛添か」と呼ぶほうが定着してしまったようです。
 「櫻井パパ」は、出馬すれば「息子の七光り」とか言われそうですが、出ないみたいですね。
 さて「小池百合子」は「一人で勝手に先走ってコケる人」になるか、それとも「うまく機をとらえて成り上がる人」になるか…

 冗談はさておき、告示(14日)まで2週間を切り、時間はあまりありません。候補擁立に際して東京五輪・パラリンピックのことが重視されているようですが、都知事選にあたって考えるべきことはまず第一に都政です。五輪はスポーツ大会として普通に開催できればそれでよく、あまり重く考え過ぎないほうがいいと、長野五輪を経験した長野県民としては思います。長野県は五輪至上主義のために明らかにゆがみ、傷つきました(長野五輪そのものは成功したし、開催して良かったと思いますが)。東京でも施設整備の問題や招致をめぐる金の問題が浮上しており、心配しています。
 ついでに書いておくと、五輪は巨額な開催費用の問題から立候補都市がだんだん減る傾向にあります。東京五輪は、過度に金をかけずに、どこでも普通に開催できるスポーツ大会として見本を示すほうが、今後の世界のために望ましいと思います。

 舛添さんが都議会に9月まで不信任を猶予してほしいと言ったのは、リオ五輪の閉会式に出席して五輪旗を引き継ぐためだったそうですが、死に体のまま9月まで都知事に留まるつもりだったのか、それとも、ここを乗り切れば夏の間に風向きが変わると思ったのか…。辞職した後になってみれば、五輪旗の引き継ぎは別に大した問題にはなっていません。
 参院選公示の前日付で辞職したのは、参院選への影響を避けるために辞職をせまられたからでしょうが、こちらはあまり話題になりませんでしたね。参院選がなければどうなっていたのか…
 自民党や公明党にとっては、都知事選で安倍首相はじめ幹部クラスが前面に出て舛添さんを支援したので、印象が悪くなると思ったのでしょう。もっとも民主党(当時)だって、人気の高かった舛添さんを担ごうとした経緯があるのだから、自民党を批判できる立場ではありません。

 舛添さんの一件は、冷静に考えると、「セコい」ことを理由に都知事を辞職させていいのかという論点も指摘できます。しかし、前職者が「政治とカネ」の問題で辞職した後でもあるだけに、認識が甘かったと言わざるを得ません。政治資金規正法が甘いから舛添さんを追及できない、ということはなく、違法性はなくても不適切なことはやっぱり問題です。
 政治資金支出の公私混同に加え、海外出張の高過ぎるホテル代、公用車での別荘通い、さらに、さまざまな問題が明るみに出てからの説明の見苦しさもあり、ここまで都民の信頼を失っては、続投は無理でしょう。

 もう一つ、冷静に考えておきたい問題は、今回の一件を朝から晩まで伝えて舛添たたきを先導したマスコミのあり方です。特に民放テレビが都議会中継までしたのは異様でした。それは偏に視聴率のためで、やらなければ他社に視聴率を奪われるとなれば、現場はやらざるを得ません。
 それもこれも元はと言えば、舛添さんが過去に他人を追及して「盗っ人なわけですよ」といった発言をしていたり、今回も「シルクの中国服を着用すると書道の際に筆がスムーズ」に代表されるような珍妙な言い訳を重ねたのが原因で、次にどんな面白いことを言うのか、みんなが見たがったということではありますが(舛添たたきを見て喜んでいた視聴者の心理もありますかね)。
 これは日本のマスコミが持っている構造的な問題として、頭に置いておくことが必要でしょう。こういうマスコミの性質を知り抜いた上で、それを利用する者が必ず現れてきますから(おそらく既にいると思います)。

 辞職したからと言って疑惑が晴れたわけではありません。同時に、舛添さんを追及したことがどれだけ都議たちや国会議員などに跳ね返るか、それも見ものです。公私混同の疑われる政治資金支出をしている政治家が何パーセントいるか、マスコミにはぜひ全部調べて報道してもらいたいところです。

 途中から話がずれてしまいましたが、ともかく、都知事選は都政第一で考えてほしいと思います。

こどもの日に

 今日は「こどもの日」。

 保育所の待機児童問題が全国的な大問題のように取り上げられていますが、都道府県別に見ると、3分の1以上の県で待機児童数はゼロか、またはいても数人以内だということ、ちゃんと知っている人はどのくらいいるのでしょうか。
 地方は人口が減っているから? 少子化で子どもが減っているから? 違います。長野県の私が生まれ育った町では、私が子どもだった1960年代にはすでに、ほとんどの子どもが保育所に通っていました。「保育に欠ける」から保育所に行くのではなく、小学校に入る前にみんな通うのが当たり前でした。だから若い母親たちは何も気兼ねすることなく、仕事でも趣味の活動でも何でもできました。私の母親は長く家で内職をしていましたが、同時にいろいろな教室に通って資格を取り、40代になってから自分が講師になって自宅で教室を開くようになりました。

 保育所定員(人口当たり)と女性の有業率はおおむね正の相関関係があり、長野、石川、福井、富山などは両方高い地域です。4県とも待機児童数はゼロです。昔から多くの女性が働く風土で、仕事もあって、自治体が積極的に保育所を整備してきた地域です。
 逆に両方低いのは、大阪はじめ関西、北海道、沖縄、宮城、鹿児島、神奈川、千葉、埼玉などです。女性の仕事が少なかったり、保育所の整備が遅れている地域です。
 例外的に保育所定員が多いのに女性の有業率が中くらいなのは高知、島根、青森などで、これは仕事が少ないことや、その他の地域的な特性のためでしょう。逆に保育所定員が少ないのに女性の有業率が高いのは東京、静岡、愛知、岐阜で、これは仕事が多くある地域でしょう。このうち岐阜は待機児童はほとんどいません。

 待機児童数(子ども人口当たり)の多さが特に目立つのは東京と沖縄です。沖縄は子どもが多いのに歴史的な事情で保育施策が遅れており、自治体だけのせいにするのは気の毒。一方、首都圏は東京一極集中のために近年も人口の流入が続いています。首都圏だけは、東京一極集中を根本的に何とかしない限り、いくら保育所を整備しても追いつかないでしょう。

 長野県は幼稚園就園率が全国最低で、保育所が大きな役割を果たしています。都市部などには幼稚園がありますが、それで広い県土をカバーしきれるはずがなく、昔から市町村が保育所の整備・運営に力を入れてきました。保育所が保育だけでなく小学校就学前教育の一端も担ってきました。
 保育所の整備が遅れている地域では、どうかすると子どもを保育所に通わせる親は無責任だというような風潮さえ一部にあるようですが、長野県はそんな風潮とはまったく無縁です。

 信州で子育て、本気で考えてみませんか?

SONGS中島みゆき~「夜会」への招待

 11月7日に放送されたNHKの「SONGS中島みゆき~『夜会』への招待」、録画したきり何となく観ずにそのまま寝かせていて、12月に入ってからやっと観ました。
 1989年から2014年までに18回を数えている「夜会」。30分足らずの番組の中でどうまとめるのかと思いながら観ていたら、「夜会Vol.4~金環蝕」(1992年)の終わり近くの「泣かないでアマテラス」がほとんどノーカットで流されたので、びっくりするやらうれしくなるやら。
 この作品の説明はみゆきさん自身が書いた文章に勝るものはないので、公演の1年後に本で出された『夜会Vol.4~金環蝕』(角川書店1993年刊)の「はじめに/ラフスケッチ」から引用します。

<原典は古事記、ならびに日本書紀。
 そこにウズメは二度登場します。
 一度めは、あまりにも有名な天の岩戸の場面。
 スサノオノミコトの暴力と不敬に絶望して岩戸に身を隠してしまった
 アマテラスオオミカミを呼び戻すため、岩戸の前で裸踊りをやらかして
 神々を大笑いさせたという、とんでもない女神がウズメです。
 二度目は、天孫降臨の一行と、誰か得体の知れない神との遭遇の場面。
 ウズメはアマテラスからの、
 「異形の者に対面しても気おくれすることなく、これを和ませる力をもつ」
 という信頼を受けて、先陣をまかされて出かけてゆき、天と地のわかれるところにて
 不安を笑いに変えて、異民族とのつきあいの糸ぐちをつくります。
 (中略)
 ヤマトナデシコの中にはウズメのような女性像もあるんであります。
 アマテラスだって、大笑いにつられて、つい能書き忘れてノコノコと
 岩戸から出ちゃったなんて、けっこう笑かしてくれるんであります。
 さまざまな権力の都合で、あっちへ隠されこっちへ伏せられたりする
 事情はあっても、女たちの血の中にはアマテラスもウズメも同居して、
 連綿と受け継がれているに違いない…>

 番組の中でナレーターが「科学者がアマテラスオオミカミに変身する」と言ってしまったのはNHKらしくもない大間違いで、足につけた鈴を鳴らしながら歌い踊るのはもちろんアメノウズメ。そしてアマテラスは、この歌を聴くすべての人々。
 みゆきさんのウズメはアマテラスに対し「絶望しないで、顔を上げて笑って」と、あふれ出るエネルギーをもって歌いかけ励まします。そして聴く者は気づきます。みゆきさん自身もまた聴く人みんなも、一人ひとりがウズメでもありまたアマテラスでもあると…。
 「泣かないでアマテラス」(中島みゆき作詞作曲)の歌詞の核心部分を引用します。

<地上に悲しみが尽きる日は無くても
 地上に憎しみが尽きる日は無くても
 それに優る笑顔が
 ひとつ多くあればいい>

 パリ同時多発テロ(2015年11月13日金曜日)で妻を失ったフランス人映画ジャーナリストが書いた「君たちに憎しみという贈り物はあげない」という文章を思い出します。
 「泣かないでアマテラス」から、最後の「夜会Vol.18~橋の下のアルカディア」からの抜粋までを通じ、この2015年という年に寄せるみゆきさんの、決して語られることのない思いが聞こえた気がしました。

 悲しみと憎しみの連鎖を断ち切ることが21世紀の人類の課題だと、20世紀が終わる時に思いました。このことに気づいている人は大勢いるのに、世界の状況はますます悪くなっています。でも、絶望してはいけません。思い描く未来は来るかもしれないし、来ないかもしれません。でも、そこに向かって歩みを止めないこと(時には迷い立ち止まる日があっても)が生きることなんだと…

 もうすぐ2015年が終わり、2016年が始まります。