お年取りの用意ができました

 大晦日も夕方が近づき、いよいよ今年も終わろうとしています。今年もどうにか無事に終え、年越しを迎えることができそうです。お年取りの用意もできました。

 「お年取り」という行事については昨年の大晦日に「お年取り」と年取り魚という記事を書きました。飯田の年取り魚は主にブリですが、昨日スーパーに買い出しに行ったら、ブリの切り身のパックが大量に積まれている横にサケがあり、さらにその横にコイもありました。信州の年取り魚は地域によって違いますが、だいたいこの3種のうちのどれかで、スーパーではどこの出身者にも対応できるように用意しているようでした。

17010101 年取り魚とともに飯田の年越しに欠かせないのが、切り昆布と各種根菜類、焼き豆腐などを入れたお年取りの汁です。各種の芋、大根、ニンジンなどを入れるため具だくさんで、汁物なのか煮物なのか分からないような料理です。具の数は7種類とか9種類とか縁起のよい数字を選びます。今年のわが家では、里芋、ジャガイモ、大根、ニンジン、ゴボウ、焼き豆腐、切り昆布の7種類でした。飯田のお年取りでは、これがなければ始まらないという定番の行事食です。
 このお年取りの汁は、飯田を中心とする信州南部・伊那谷地域とともに、岐阜県の美濃東部地域にもまったく同じものがあるようです。昔からの飯田と東濃のつながりを物語っているようで、こうしたことも、ブリが越中から飛騨を経て飯田まで運ばれてくるルートが、松本経由ではなく主に美濃経由だったはずだと私が考えている理由です。

 さて、ゆっくり風呂に入って1年の汚れを落としたら、家族そろってお年取りです。では、みなさま、よいお年を。

焼肉のまち飯田

 さっきNHKニュースシブ5時で「焼き肉王国・飯田」を紹介していました。飯田の焼肉のことはいずれ書こうと思ってネタ帳に上げてあったのですが、ちょうどいい機会なので書いておきましょう。
 コーナーの冒頭で紹介していた通り、飯田は日本一の焼肉のまちで、人口1万人あたりの焼肉店数(iタウンページによる)が5.31店もあり、ダントツの日本一です。2位は北海道北見市の4.86店で、このトップ2はどの調査でも動きません。3位は調査によって微妙に順位が変わっていますが、三重県松阪市、福井県福井市、鳥取県米子市などが3.5店前後で並びます。
 この話は最近、多くの新聞やテレビ、雑誌で相次いで「意外な日本一」として取り上げられており、きょうシブ5時で取り上げていた話はだいたい過去の新聞・雑誌の記事に出ています。
 焼肉店が多いだけではありません。家庭でもよく焼肉を食べ、私の家にも小型ガスボンベ、コンロ、鉄板、ジンギスカン鍋、焼き網がありました(今はカセットコンロ、ホットプレートですが)。またちょっとした人数の懇親会、地域の集まりなども屋内外を問わず焼肉が多く、春は花見で焼肉、夏は花火で焼肉、秋は山行きで焼肉という感じです(花火というのは打ち上げ花火で、飯田周辺では地域ごとに花火大会があります)。

 焼肉というと、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか? カルビ? ロース? タン? 違います。飯田で焼肉といえば、キーワードに上がるのはマトン、ジンギスカン、ホルモン焼、山肉といったところです。10年ほど前からここに南信州牛が加わりました。
 私も子どものころ焼肉で食べたのはもっぱらマトンでした。豚肉や鶏肉が入ることもありました。大学に進んで県外に出るまで、牛肉を食べたことは2、3回しかないと思います。カレーやすき焼きは豚肉でした(飯田周辺は昔から養豚が盛んで、千代幻豚というブランド豚もあります)。
 スーパーでパック詰めで売っている味付け済みのジンギスカンもよく食べました。ジンギスカンといえば中身はマトンですが、同じように味付けした豚ジンギスカン、鳥ジンギスカンなども売られており、よく食べられています。
 焼肉店でビールや日本酒を飲みながら食べる焼肉は、サガリ(ハラミ)などの内臓肉が主体です。飯田では「ホルモン」という言葉はあまり使いません。最近はカルビなども一般的になっていますが、飯田で焼肉といえば、特にホルモンと呼んで区別することなく普通に内臓肉を食べます。
 遠山郷(今では合併して飯田市の一部)の精肉店ではシカ、クマ、イノシシなどの山肉も売っています。近年はジビエ料理の人気が高まり、地元でさまざまな料理法を工夫したりもしています。これらは狩猟によって捕獲されますが、昔は多くの家でウサギやニワトリ、ヤギを飼っていました。どちらも山国の大事なタンパク源で、これらも飯田の食肉文化と無関係ではないでしょう。
 山肉は基本的に鍋(煮込み料理)で食べるもので、肉を焼いて食べる食文化は戦後に広がったものと思われます。その理由については、満州開拓団の人たちが戦後に日本に持ち帰ったとか、いろいろな説がありますが、はっきりしたことは分かりません。

 飯田の焼肉は高価な高級焼肉ではなく、手頃な値段でおしいく食べられる庶民の食べ物です。飯田にお立ち寄りの際はぜひお気軽に焼肉店に入ってみてください。

(付記)
 上記で触れた「南信州牛」は、10年前の2006年からブランド化の取り組みが始まり、飯田市農業課に南信州牛ブランド推進協議会の事務局があります。もともと高品質の和牛を生産しており、関西などの市場からは高い評価を得ていたものの、地元では知られておらず、地域ブランドの位置付けにはなっていなかったため、改めて名称を定めてブランド化を進めています。
 2011年には、第7回全日本牛枝肉コンクール(大阪府畜産会、大阪市食肉市場協議会など主催)で、飯田市の生産者が出品した南信州牛が最高賞を受賞し、品質の高さが認められています。
 現在は地元の精肉店で販売したり(通販もあり)、ホテルなどでも提供されています。

 このほか飯田の食肉文化といえば、馬肉(馬刺し、おたぐり)も欠かせないのですが、焼肉ではないので、これについてはまた別に書きます。

「お年取り」と年取り魚

 「お年取り」というのは、大晦日に一年の無事を感謝するとともに、数え年で1つ年を取ることを祝い、普段とは違う豪華な料理をいただく行事です。一家まとめて誕生日…みたいな感じでしょうか。信州では今でも各家庭で一年で最も大切にされている年中行事で、大晦日には外に出ている子どもたちも帰ってきて、新年を迎える準備を整えた後、一家そろって祝い膳に向かいます。
 飯田では昔から「お年取り」は早い時間にやるほうが良いとされ、まだ外が明るいうちにやったようです。家ごとに競うように早くやった地域もあり、「お昼にお年取りをして、外で羽根をついて遊んだ」というのは70年くらい前の母の思い出話です。大晦日の夜中の12時が過ぎたら正月になるのではなく、「お年取り」を終えたら正月ということだったのでしょう。

 この「お年取り」の祝い膳でメインになるのが年取り魚で、飯田ではブリです。私が子どもだった頃(約40年前)の一時期、県外の親戚からお歳暮に新巻鮭をもらい、正月から何日もかけて食べたことがありましたが、大晦日にはそれとは別に必ずブリを食べました。今でも必ずブリを用意します。
 この年取り魚、おおざっぱに言うと長野県の中で中信と南信はブリ、北信と東信はサケに分かれています。全国的に、糸魚川静岡構造線を境にして西はブリ(正月に食べる地域も含む)、東はサケと言われ、だいたい合っていますが、細かく見ると境目近辺には混在地域があり、また入り組んでいる部分もあって、すっぱりと分かれるわけではありません。

 改めて全国の年取り魚を調べてみると、二大勢力のブリとサケだけでなく、地域によってさまざまな魚が使われていることが分かりました。
 最もバラエティに富んでいるのは東北で、青森でタラ、秋田でハタハタ、岩手と宮城でナメタガレイなどに分かれます。もっと限定的に、米沢鯉の産地である山形の米沢ではコイという例もあります。長野県でも佐久鯉の産地ではコイを年取り魚にします。
 西のほうでは、兵庫県から中国、北九州にかけて、山間部を中心にイワシという地域がけっこうあり、「年取りイワシ」として販売されているそうです。イワシは節分と同様の行事食で、ごちそうという感じはしませんね。もしかすると立春を1年の始まりと考えた時代の名残りでしょうか?(分かりません)
 一方、関東や東海、関西、四国などでは、そもそも「お年取り」という行事がなく、大晦日は簡単に年越し蕎麦ですませ、元日におせち料理を食べるという地域も多いようです。年越し蕎麦はもともと江戸時代に都市部の商家で広がった風習ですから、農村部との地域性の違いが現代まで続いているのでしょう。なお関西では大晦日ではなく正月に祝い魚としてタイやブリを食べます。

 さて、信州の話に戻ります。歴史的に考えると、サケが遡上する川があるところでは有史以前から日常的にサケを食べていたはずで、それに対してブリを食べる文化は中世以降に西から入ってきたものと考えられます。だから信濃川上流の千曲川や犀川が流れている北信、東信は今でもサケが主体で、ブリは西から中信、南信まで浸透したものの、それより東にはあまり広がらなかったと考えることができるでしょう。越中で水揚げされた寒ブリが年取り魚として中信、南信に浸透したのは江戸中期からだそうです。

 日本海の寒ブリは富山湾などの定置網で獲り、港に水揚げします。富山筋の情報によると、かつて飛騨経由で信州に運ばれたブリの出発点は有名な氷見ではなく、岩瀬(富山港)だったとのこと。長野県では今でも氷見と書いている本やホームページが少なくありませんが、これは本当に飛騨より向こうのことは知らなかった証拠でしょうね。
 飛騨に送るブリは岩瀬で腹を洗って甘塩にしました。そこから信州までブリが運ばれるルートは主に3つありました。いずれも飛騨の高山を経由します。
 ①越中→飛騨→(野麦峠)→松本→諏訪、上伊那、木曽
 ②越中→飛騨→美濃東部→木曽→(権兵衛峠)→上伊那
 ③越中→飛騨→美濃東部→木曽→(大平峠)→飯田

 松本の場合は、新潟の糸魚川から姫川に入って安曇野に遡上してくるサケや、糸魚川で塩蔵されたブリも入ってきたようですが、主流は飛騨経由のブリでした。これは松本と飛騨の往来がもともと盛んだったことに加え、高山に魚の大問屋があってブリ市が立ち、そこから広く美濃はじめ一円に出荷されたからでしょう。高山市公設地方卸売市場では今も毎年12月24日にブリ市を開き、伝統を守っています。
 越中から出荷されるブリは「越中鰤」ですが、それが飛騨の市を経由することで「飛騨鰤」に変わります。「飛騨鰤」というのは落語の「目黒の秋刀魚」みたいで面白いですね。松本の殿様が「越中はいかん。ブリは飛騨に限る」とか言ったり…しないか(^-^;
 越中から松本までブリが運ばれる道は「鰤街道」と呼ばれました。さらに近年、ノーベル賞を受賞した白川英樹、利根川進、小柴昌俊、田中耕一、梶田隆章の5氏が越中―飛騨―高山の沿線にゆかりがあるということで、「ノーベル街道」とも呼ばれています。昔からの街道を見直して地域間交流を盛り上げようと、富山商工会議所は「ぶり・ノーベル出世街道祭り」なども開催してきました。「ブリを食べると頭が良くなる」と、十数年前に流行った歌みたいに宣伝している…かどうかは知りません(^-^;
 越中から高山まで3~4日、高山から松本まで8日かかり、高山での取り次ぎを含め、越中から松本までは17日かかったということです。

 飯田へのルートについては、松本→上伊那→飯田という説も流布していますが、主流は③の美濃東部、木曽経由でしょう。なぜなら、飯田は純ブリ地域ですが、上伊那や諏訪はブリとサケの混在地域だからです。また松本や上伊那ではブリを粕汁仕立てにしますが、飯田では主に照焼きです。
 飯田に着いたブリは、そこからさらに周辺の山間部にも運ばれました。旧上村(現飯田市上村)の村民から聞いた話をまとめた「南信州・上村 遠山谷の民俗」(上村民俗誌刊行会1977年刊)には、わらべ歌の1つとして「正月と言うもは良いものだ(中略)下駄の歯のような鰤たべて」という歌が収録されています。
 明治末期から昭和初期にかけて、牛馬や人間の力で信州に運ばれたブリの末端価格は越中の浜値の数倍に達したそうです。ブリ1匹が米2俵(8斗=120kg)の値段に相当したという話もあります。そんな高価なものを丸一匹や半身で買えるわけがなく、切り身で家族の分だけ買うのがやっとでした。それでも買えない家は塩サンマを年取り魚にしました。昭和初期、山間部でブリを食べられるのは裕福な家だけ。飯田の中心部でも不景気な年やブリが高騰した年はサケや塩サンマだったと、私の父から聞きました。

 冷凍技術が進んだ今では、塩ブリにお目にかかることはまずありません。氷見のブリでも何でも生で手に入ります。また、飛騨鰤より飛騨牛のほうがごちそう感があります。ブリにこだわらなくても、お年取り行事の意味さえ正しく伝えていれば、何でも好きなものを食べればいいのかもしれませんね。
 でも、わが家はやっぱり今年もブリを用意しました。

正月の縁起物と市田柿

 正月の縁起物の一つに干し柿があります。今や干し柿の一大ブランドとなっている「市田柿」は飯田市とその周辺地域の特産品です。

 正月の「歯固め」の由来は平安時代の宮中の新年行事で、固いものを食べて歯を固め、健康長寿を祈願する儀式だそうです。
 長野県の南信から中信にかけて、元旦に「歯固め」として朝茶と一緒に豆、栗、柿を食べる風習があります。「まめ(健康)でくりくり(活発に働いて)(福を)かきとるように」と唱えながら食べ、新年の健康息災や豊作繁盛を願います。「くりくり」は「やりくり上手に」という解釈もあるようです。
 昔の干し柿は固かったのかもしれませんが、今の市田柿はしっとりとしていて固くありません。栗も昔は固い勝栗だったはずですが、今はおなじみの天津甘栗を使います。また豆は本来は黒豆だと思いますが、飯田市周辺では落花生を使う家が多くなっています。このほか家によってはカリン(借りん)が加わるバージョンがあります。

 同様の風習は岐阜県(美濃、飛騨の両方)や愛知県の奥三河にもあります。岐阜県に伝わっているやり方はもっと本式で、まず昆布(よろこぶ)を口にし、続いて豆、栗、榧(かや)、田作り(ごまめ)、柿を順にとって、「まめでくりくり、がやがや(賑やかに大勢で力を合わせて)田を作り、かきとるように…」と唱えるのだそうです。岐阜県にも昔から地元名産の干し柿があります。また豆は今でも黒豆で、煮た黒豆に米の粉をまぶして「子福豆」と呼ぶ地域もあるようです。これらは12月30日に枡に入れて年神様に供え、元旦に下げて分けていただくのが本式です。
(参考:岐阜県東白川村ホームページ「ふるさとの年中行事」
 今でも榧の実が手に入るというのはちょっと驚きですが、近畿以西では正月の供え物や祝い膳に栗、榧、ごまめを並べる風習が残っている地域があるようです。ごまめは地域によって田作り、五万米、小殿原などと呼び方が変わります。
 今ではだいたい多くの地域で何か3種を並べて正月の歯固めや祝い肴とするようで、飯田では豆、栗、柿ですが、3種の選び方は地域特性に応じてさまざまに違いが見られます。でも、柿がないと肝心な「かきとる」という最後のまとめがなくなってしまうので、できれば柿を入れてほしいですね\(^o^)/

 市田柿の話に戻ります。
 「市田」というのは飯田市の北に隣接する高森町の一部の地名です。江戸時代後期、ここにあった1本の渋柿の実は近隣の柿より大きく、干し柿にすると甘みが強かったため、次第に接ぎ木で増やされ、市田を中心に地域に広がっていきました。大正10(1921)年、この実でつくった干し柿を初めて「市田柿」と名付け、東京、名古屋、大阪に出荷しました。
 市田柿づくりが本格化する11月、この地域では厳しく冷え込んだ朝、天竜川から深い霧が発生して一帯を長時間おおいます。冷涼な気温が腐敗やカビを防ぐとともに、この霧が適度の湿度を与え、市田柿をきれいにおししく仕上げると言われています。市田柿はまさにこの地域の風土の恵み。木の品種だけでなく産地とつくり方も重要なのです。

15122901 市田柿の由来や歴史については、高森町が2009年に発行した書籍「市田柿のふるさと」に詳しくまとめられています。「市田柿のふるさと(ウェブ版)」でも見ることができます。

 市田柿の表面をおおう白い粉は糖分(ブドウ糖、果糖など)の結晶です。柿の実をある程度まで乾燥させた後、実をよくもむと中から糖分を含んだ水分が出てきて、これをさらに乾燥させると白い結晶になります。この柿もみは、実の中の水分を周りから中心まで均一にし、形と歯触りのよい市田柿に仕上げる働きもあるような気がします。
 きれいに白い粉でおおわれた極上の市田柿は手間をかけてつくられているのです。この白い粉は「柿霜」と呼ばれ、漢方では咳止めなどの薬として使われてきました。
 市田柿を高温多湿の場所におくと白い粉がもどってしまうことがあるので(そのまま食べても何も問題ありませんが)、乾燥しないように包んだ上で冷蔵庫など低温の場所で保存するほうがいいでしょう。

15122902 市田柿の中はきれいなアメ色。そしてその中にはβカロテン、食物繊維、タンニンが豊富に含まれています。
 柿の実が鮮やかなオレンジ色をしているのはβカロテンが多いからです(ミカンやニンジン、カボチャなどと同じ)。βカロテンは干し柿にしても失われず、強い抗酸化作用を持つとともに、必要に応じて体内でビタミンAに変換され、免疫機能を正常にしたり眼や皮膚の健康を守り、若さを保つ効果があります。
 市田柿のねっとりもっちりとした食感は食物繊維のペクチンによるものです。食物繊維は腸の働きを活発にし、便秘や肥満を防ぐ効果があります。
 タンニンはポリフェノール化合物の一種で、お茶や赤ワインなどにも含まれている渋味成分です。渋柿には水溶性のタンニンが含まれているため渋味を感じますが、干し柿にすると不溶性に変わり渋味を感じなくなります。タンニンは悪酔い防止や二日酔い解消に効果があると言われています。
 こうしたことから市田柿は近年、健康と美容に良い日本のドライフルーツとしても人気が高まっています。

 なお、市田柿の原材料名の中に「酸化防止剤(二酸化硫黄)」と表示されていて気になる方もあるかもしれません。これは柿の硫黄薫蒸を行ったという意味です。
 硫黄薫蒸は、柿の皮をむいた直後に硫黄を燃やしていぶす作業で、柿の酸化を防いできれいなアメ色に仕上げたり、カビの発生を防ぐ効果があります。市田柿づくりで普及したのは1950年代からで、現在ではだいたい普通に行われています。この結果、柿の中に二酸化硫黄が入り、時間とともに抜けますが、出来上がった市田柿の中にもわずかに残ります。もちろん残存量は食品衛生法の基準でも問題ない量です。
 それでも気になるという方は、硫黄薫蒸を行っていない市田柿も販売されていますので、自然食品を扱う店の通販などで探してみてください。

 「市田柿」は登録商標(地域団体商標)で、「長野県飯田市・下伊那郡産の干し柿」として原料柿の品種・産地・製法が限定され、事業者には衛生管理・品質保持を徹底することが義務づけられています。商標登録を受けているのは「みなみ信州農業協同組合」と「下伊那園芸農業協同組合」で、これらの組合員は自動的に商標使用権を持つので、個々の農家などが製造・直売を手がけているケースもあります。
 そのほか正式に商標使用権を得ている事業者は市田柿ブランド推進協議会のホームページに掲載されています。ただし実際の通販向けなどでは、これらの事業者がもっとアピールしやすい別の名前を使っているケースもあります。
 市田柿の販売価格は中粒の徳用袋詰めで1個あたり40円くらいから、大粒の贈答用化粧箱入りは同200円前後くらいです。1個あたり400~500円もする高級品もあります。