飯田周辺の銘桜―その4

 飯田中心市街地の銘桜が次々に開花しています。明日9日の日曜日はまだ少し早いかもしれませんが、来週あたりが見ごろになりそうです。
 今回は一本桜以外のいわゆる花見の名所を紹介します。

<大宮通り桜並木>写真右
17040801 昭和22(1947)年4月の飯田大火の後、防火都市づくりの一環として、市街地を大きく「田」の字に区切るグリーンベルトが設けられました。そのうち飯田動物園から大宮諏訪神社にかけて南北にのびるグリーンベルトが並木通りで、その南半分が飯田市のシンボル「りんご並木」、北半分が「大宮通り桜並木」です。現在の飯田のソメイヨシノ観測の標準木はこの桜並木の中にあります。
 桜並木は約700mの間に約150本の桜があります。なかでもロータリー交差点から大宮諏訪神社までの部分は中央分離帯だけでなく道路両側の桜も大きく育っており、開花時は花のトンネルになります。
 南端の人形時計塔付近のエドヒガンが最も早く開花し、この桜は最近「吾妻一番桜」とも呼ばれるようです。そこから北へと開花が進むため、比較的長い間、並木のどこかが見ごろになります。盛りを過ぎた後の花吹雪も風情があります。
 この桜並木をコースに入れつつ、「安富桜」、「桜丸の夫婦桜」、「黄梅院の紅枝垂れ桜」、「正永寺の枝垂れ桜」、「専照寺の枝垂れ桜」、「清秀桜」などの銘桜をめぐって散策するのがおすすめです。
 秋の紅葉や枝に雪が積もった冬の景色も美しく、「りんご並木」ともども四季それぞれの景色を楽しんでいただきたいところです。
 9日は午前9時から午後3時まで桜並木一帯で「桜祭り」が催されます。

<今宮の桜(城山の桜)>
 飯田市今宮町4の今宮郊外八幡宮や今宮球場の周辺には約千本の桜があるといわれ、中心市街地からも近い花見の名所になっています。昭和22(1947)年4月の飯田大火の後、この一帯に仮設住宅が建てられ、そこで暮らした市民たちがお礼に桜を植えたといわれています。
 背後の丘陵は城山と呼ばれ、かつて飯田工業高校があり、現在は「かざこし子どもの森公園」となって多くの市民でにぎわう憩いの場所になっています。こちらの公園には広い駐車場もあり、家族で公園で遊びがてら花見を楽しむのがおすすめです。

<飯沼石段桜>
 飯田市上郷にある飯沼諏訪神社の長い石段の両脇には、推定樹齢120~150年といわれる山桜など数十本の桜があり、開花時には桜のトンネルになります。
 飯沼諏訪神社のことは昨年、「飯田周辺の御柱祭(中)」の記事で紹介したとおり、段丘先端の城跡に建てられた神社で、段丘崖に300段余りの石段が設けられて表参道になっています。
 飯沼神社の桜として昔から近隣住民に親しまれてきました。「飯沼石段桜」という名称が付けられたのは近年です。
 例年の見ごろは4月上旬。駐車場は神社周辺にはないと思ってください。神社裏側にあたる段丘上の上郷体育館あたりの駐車場を利用し、高陵中学校の北側の細道を抜けて境内に入る道がありますが、分かりにくいかもしれません。

<松川プール>写真右
17040803 飯田市鼎中平の松川右岸と、その脇にある松川プールの周辺には多くの桜が植えられており、昔から近隣住民に親しまれてきた花見の名所です。
 現在は鯉が泳ぐ大きな池ですが、元々は松川から水を引き込んでつくったプールで、小中学校の体育の授業などで使われていました。プール周辺にも松川堤防にもかなりの古木が立ち並んでいます。堤防沿いの桜の名所は他にもありますが、池などの水場の近くにある桜の名所はこの地域では珍しい存在です。
 例年の見ごろは4月上旬。

<佐倉様の桜>
 飯田市北方の佐倉神社の周辺には推定樹齢200~250年の枝垂れ桜4本を中心に多くの桜があり、昔から花見の名所になっています。
 佐倉神社は地元では「佐倉様」と呼ばれ親しまれています。国道153号の飯田インター西交差点から、インターと反対方向の山側の細道に入り、急な斜面をずんずん上っていった先に、駐車スペースとなる広場があります。神社はこの広場からかなり上った場所で、近くを信濃路自然歩道のルートが通っています。背後にある笠松山の登山口もこの近くです。
 桜があるのは広場周辺で、この広場から神社にかけては眺望がよく、南アルプスと伊那谷を一望に見渡すことができます。元旦早朝、ご来光を拝むためにここに上ったこともあります。
 例年の見ごろは4月中旬。駐車スペースはそこそこあります。

<大西公園の桜>写真右
17040805 大鹿村大河原の大西公園にはソメイヨシノを中心に約120種、約3千本の桜が植えられています。公園から小渋川上流方向に見える山は、まさに南アルプス赤石岳。満開の桜ごしに残雪の赤石岳を望むロケーションは、ここでしか見られない秀景です。
 昭和36(1961)年6月に伊那谷を襲った集中豪雨(三六災害)で大西山の山肌が大崩落し、小渋川の濁流を巻き込んだ土砂が対岸の集落をひと呑みにして42人もの犠牲者を出しました。途方もない大量の土砂は取り除きようもなく、そのまま小山となって残りました。背後の大西山には今も崩落の跡が生々しく残り、土砂によって小渋川の流れが変わったことも見て取れます。
 その大災害の傷跡に、犠牲者の鎮魂のためにと桜を植え始めた村民があり、荒涼とした土砂の山はいつしか一面の桜におおわれていきました。次第に村も公園として整備に力を入れ、桜の名所として全国的にも認められる公園になりました。「日本さくらの女王」も何度かこの地を訪れています。
 「三六災害」から今年で56年。桜の樹も大きく育ち、見事な桜の公園になりました。開花期前後には売店がオープンします。15日午前10時から午後3時半まで「大鹿さくら祭り」が催され、開会セレモニーで第11代「大鹿さくらの女王」のお披露目があります。
 例年の見ごろは4月中下旬。松川町中心部から車で40分ほど、飯田市中心部からだと1時間ほどかかります。公園入口まできれいに道路が整備され、広い駐車場があります。

 「大鹿歌舞伎が国重要無形民俗文化財に」の記事で紹介したとおり、大鹿村の大磧神社では5月3日に「大鹿歌舞伎・春の定期公演」があります。その前の4月29日には上蔵の信濃宮で、宗良親王をしのぶ「李花の祭り」も催されます。
 今まで書き忘れていましたが、大鹿村は平成17(2005)年に発足した「日本で最も美しい村」連合のオリジナルメンバー(全国7町村)の1つ。日本の原風景の自然と風土をたっぷり残しています。

   ☆   ☆   ☆

 まだ続く予定でしたが、4月中旬にひどい花散らしの雨が降って、あまりお勧めできる状態ではなくなってしまったので、今年はこれで打ち切り。続きはまた来年。

飯田周辺の銘桜―その3

17040701 飯田周辺には100本近い銘桜があると書きました。一本桜の他に、沿道・沿川の桜並木や、いわゆる花見の名所も多く、それらを合わせると100か所をはるかに上回ります。
 今回は飯田中心市街地から離れた場所にある一本桜を中心に、足を運んで絶対に損のない銘桜を厳選して紹介します。いずれも山里にあり、周囲のロケーションとセットでポイントの高い桜です。

<氏乗の枝垂れ桜>写真左
 喬木村氏乗の小学校分教場跡にある巨大な枝垂れ桜です。
 明治42(1909)年に喬木第二尋常高等小学校氏乗分教場の入学記念樹として植えられたものと伝えられています。喬木村天然記念物。
 高さ22mの樹上から地面近くまで、数m以上にもなる長い下垂枝が垂れ下がっています。花は八重咲きで、濃い紅色です。私が見に行った時は樹下の斜面にスイセンが植えられていて、桜のピンクとスイセンの黄色、周囲の緑、青い空の対比が見事でした。
 分教場は昭和33(1958)年まで使われましたが、校舎は残っていません。グラウンドだった広場の周囲に、この桜の他にも何本かの桜があります。
 例年の見ごろは4月上中旬。近くの宇治三柱神社は4月中旬に例祭があり、獅子舞が出ます。
 飯田市中心部から喬木村中心部を経て、三遠南信自動車道矢筈インター・遠山郷方面に向かって進む途中に通る場所で、行けばすぐに目に入ります。飯田市中心部から車で30分ほどかかりますが、十分に見に行く価値があります。駐車場はあまりないので、十分注意して邪魔にならない安全な場所に駐車してください。

<杵原学校の枝垂れ桜>写真右
17040702 飯田市竹佐の旧山本中学校の校舎前に立つ枝垂れ桜。山里の高台に、木造校舎(登録有形文化財)を背景に桜が咲き誇る懐かしい風景は郷愁を誘います。
 山本中学校は昭和60(1985)年に統合により廃校に。校舎は昭和24(1949)年に建てられたもので、廃校後も地元住民の手で保全され、戦後の新制中学校の校舎としては全国で初めて国の登録有形文化財になりました。山田洋次監督・吉永小百合主演の映画「母べえ」、「母と暮せば」のロケ地として相次いで使用されたこともあります。
 この木造校舎を整備・活用しつつ後世に残そうと、平成17(2005)年に地元有志数十人が「杵原学校応援団」を設立。校舎を拠点に、授業体験、こども農業体験、里山体験教室、山本学講座などのイベントを展開しています。
 平成23(2011)年から「杵原学校桜フォトコンテスト」を開催し、山田映画で撮影監督を務めている長沼六男氏(飯田市出身)が審査委員長を務めています。
 例年の見ごろは4月上中旬。中央道飯田山本インターのほど近く。駐車場あり。

<笹見平のしだれ桜>写真右
17040703 豊丘村河野堀越にある枝垂れ桜。エドヒガン系で高さ13m、枝張り15m、均整の取れた美しい樹形で、周囲の尾根筋と空を背景にした立ち姿は独特の魅力があります。推定樹齢400年。
 堀越はマツタケ産地として知られる山間部で、集落を結んでぐるぐると山をめぐり尾根筋を走る道路のわきにこの桜があります。「笹見平」というのはこの集落の名称でもあり、地主さんの屋号でもあるとのことです。
 鎌倉時代末期、護良親王(後醍醐天皇の皇子)に仕えていた村上義光が元弘3(1333)年に幕府方と戦って自刃した後、残った一族が北信濃に落ち延びる途中で堀越に定住し、義光の墓を作って桜を植えたという伝説があります。
 実際のところは、ここの地主さんのご先祖がこの土地に移り住んで亡くなった人々を葬った場所に墓標変わりに植えたものだそうで、桜の周辺は地主さんの墓地になっています。
 例年の見ごろは4月中旬。飯田市中心部から車で35分ほど。付近の道路わきに普通車数台くらいなら駐車できるスペースがあります。地主さんが温かく迎えてくれますが、あくまでも個人の所有地だということをわきまえて行動しましょう。

<黒船桜>写真右
17040704 阿智村清内路にある枝垂れ桜で、ペリー来航時に植えられたと伝えられています。阿智村天然記念物。
 国道256号を木曽方面に向かって進み、清内路小学校の手前で左の細道に入って下り、橋を渡ったところにあります。
 高さ20m、横への広がりも大きく、黒船さながら周囲を圧倒する堂々たる姿です。
 毎年、有志の手でライトアップが行われています。
 あまり知られていませんが、冬の雪化粧も見事。年によっては4月中旬に花の上に雪が積もることもあります。
 例年の見ごろは4月中下旬。飯田市中心部からは車で50分ほど。
 清内路地区にはこのほか「清南寺の夫婦桜」、「説教所の大桜」(ともに阿智村天然記念物)などの銘桜もあります。

<駒つなぎの桜>写真右
17040705 阿智村智里「園原の里」に立つエドヒガンの古木。標高800mほどの高い場所で、開花時期は平地よりかなり遅くなります。阿智村天然記念物。
 こちらは東山道・園原ビジターセンターはゝき木館ホームページの「駒つなぎの桜」開花情報です。3年前の分から、開花期前後に日を追って撮影した写真が見られます。
 園原は古代東山道が通っており、日本武尊が東征帰路に越えた神坂峠や、源氏物語の巻名で知られる「ははき木」などがある歴史ロマンの里です。
 「駒つなぎの桜」は、源義経が奥州に下る時に馬をつないだという伝説があり、この名で呼ばれています。推定樹齢400~500年で、義経とは時代が合わないのですが、伝説なので仕方ないですね…
 高さ約20m、太い幹から大きな枝が扇状に広がっています。平成16(2004)年に台風で数本の枝が折れる大きな被害を受けたりもしましたが、まだまだ美しい樹形を保っています。
 すぐわきに水田があり、以前は水を張った田に鏡のように満開の花が映る姿が人気でした。残念ながら近年は樹の生育状況に配慮して田に水を張らない年が多くなり、今年も予定はないとのことです。
 付近に駐車場はありません。道路が細くて車のすれ違いも困難なので、600mほど手前にある「はゝき木館」に駐車して歩きます。例年の見ごろは4月下旬。ライトアップあり。飯田市中心部からは車で50分ほど。

 以上のほか、同じ町村の中にあって一度に回るのに比較的都合が良い銘桜をいくつか紹介しておきます。

▽松川町=円通庵の枝垂れ桜、原田の桜、円満坊の桜
▽高森町=新田原の江戸彼岸、瑠璃寺の桜、松源寺の桜
▽阿南町=愛宕様の小彼岸桜、瑞光院の枝垂れ桜
▽売木村=観音堂の桜、大入の枝垂れ桜

 (つづく)

飯田周辺の銘桜―その2

 現在の飯田に一本桜の名木が多い理由の1つは、江戸初期の飯田藩主・脇坂氏2代(安元、安政)の治世に由来します。飯田城下町が本格的に形成されたのは安土桃山時代以降ですが、その頃から江戸初期にかけて現在の中心市街地の骨格となる町割りがつくられ、同時に周辺から多くの寺社が集められました。

 脇坂安元は元和3(1617)年に飯田藩主となり、慶安年間(1648~52)に桜町1~3丁目を新設して飯田城下18町を完成させました。また行政の中心となる飯田城の城郭や藩の施設、侍屋敷などを整備しました。
 桜が好きだったようで、藩主の邸宅を建てた際にまわりに多くの桜を植えたため、その曲輪は「桜丸」、その邸宅は「桜丸御殿」と呼ばれるようになりました。安元は当時、武家では第一の歌人としても知られた人物です。

 安政は老中堀田正盛の次男で、跡継ぎを失った安元に養嗣子として迎えられ、安元の死後、寛文12(1672)年に播磨龍野藩に転封されるまで飯田藩主を務めました。転封先の龍野でも「播磨の小京都」と呼ばれる城下町を築きました。
 安政は安元の菩提を弔うために阿弥陀寺に千体佛観音堂を建立し、「阿弥陀寺の枝垂れ桜」を植えました。また安政は兄の菩提を弔うため、「弥陀の四十八願」にちなんで城下48寺に桜を植えたと伝えられ、「正永寺の枝垂れ桜」、「黄梅院の枝垂れ桜」、「専照寺の枝垂れ桜」、「元善光寺の紅枝垂れ桜」などがそれに当たるとされています。

   ☆   ☆   ☆

 きょう4月6日、「大宮通り桜並木」の標準木が開花し、飯田の桜の開花となりました(平年より2日遅れ)。今回は中心市街地の桜を中心に、おもな銘桜をだいたい開花・見ごろの時期が早い順に紹介します。早いものはすでに開花が始まっており、今週末にも見ごろを迎えると思います。

 中心市街地の5本(その1で紹介した「安富桜」を含めて6本)は、市街地の散歩がてら歩いて見て回ることも可能です。周辺部の5本(その1で紹介した「麻績の里 舞台桜」を含めて6本)は車で移動することが必要です。中心市街地は駐車場が豊富にありますが、周辺部は駐車場がせまかったり離れた場所にある場合もあるので注意してください。

<水佐代獅子塚のエドヒガン(水城お立ち符の桜)>
17040601 飯田市松尾水城(みさしろ)の水佐代獅子塚古墳の上に立つエドヒガン。開花時期が早く、この桜の数日後に中心市街地の桜が一斉に開花すると言われています。高さ約17m、枝張りは東西20mに及びます。推定樹齢350年。飯田市天然記念物。
 地元では「お立ち符の桜」と呼ばれています。これは津島神社の護符を立てたことに由来します。水佐代獅子塚古墳は墳丘54.2mの前方後円墳で、古墳時代中期に造られたと考えられています。昨年、国史跡に指定された飯田古墳群の13基の古墳の1つです。
 JR伊那八幡駅から北側の踏切を越えて東に300mほど進むと、左手にあります。駐車場あり。

<正永寺の枝垂れ桜>写真右
 正永寺(飯田市江戸町3)の本堂の前にある枝垂れ桜。高さ約15m、推定樹齢400年。上記のとおり脇坂安政によって植えられた48本の桜のうちの1本とみられています。
 正永寺は天保3(1832)年と明治35(1902)年の2度にわたり火災で本堂を失いましたが、飯田大火は免れ、桜は生き残りました。幹の上部から地面に届くほど大きく垂れた枝に滝のような花を咲かせます。かつては両側に枝が垂れていましたが、今は片側になっています。幹の傷みが目立ちます。
 下記の黄梅院は東隣、専照寺もすぐ近くで、この3か所は無理なく歩いてまわれます。

<くよとの枝垂れ桜>写真右
17040602 飯田市毛賀の旧遠州街道のわきにある枝垂れ桜で、斜面の下に向かって大きく伸びた枝が旧道をおおっています。高さ約15m、推定樹齢350年。飯田市天然記念物。
 「くよと」は桜の下に建てられている「供養塔」がなまったものといわれています。室町~戦国時代の戦乱による死者の霊をなぐさめるために供養塔を建てたとも、脇坂氏が飯田城主だった時代に付近の住民が桜を植えたとも伝えられています。桜の下には秋葉様などの石碑と2基の常夜灯があり、地元住民の手で絶やすことなく燈明が灯されています。
 360度どこから撮っても絵になる桜で、残雪の南アルプスを背景にした構図も外せません。
 JR毛賀駅あたりの国道151号から高台側に向かって細道を入っていった先ですが、詳しい地図を見ないと分からないと思います。桜の近くには駐車場がまったくないので注意してください。適当に駐車できる場所を探して車を置き、歩いていくしかありません。

<清秀桜>写真右
17040603 愛宕神社(飯田市愛宕町)の境内にあるエドヒガンの古木。仁治元(1240)年に清秀(せいしゅう)法印が植えたと伝えられ、樹齢は約780年。飯田市内最古の桜で、飯田市天然記念物。
 高さ8mと低く、古いだけに幹は傷みが目立ちますが、横に大きく伸びた枝には今でもたくさんの花が咲きます。
 動物園西隣の駐車場を利用するのがおすすめです。

<桜丸の夫婦桜>
 県飯田合同庁舎(飯田市追手町2)の東側にあり、エドヒガンと枝垂れ桜が寄り添って1本に見えることから「夫婦桜」と呼ばれています。高さ約20m、推定樹齢400年。
 ここは飯田城の桜丸御殿(藩主などの邸宅)があった場所で、江戸初期に脇坂安元が屋敷を建て、曲輪に多くの桜を植えたことから「桜丸」と呼ばれるようになりました。
 桜丸御殿の南側に宝暦4(1754)年に建てられた門が飯田城桜丸御門で、現在「赤門」と呼ばれているものです。
 土日祝日は合同庁舎の駐車場が開放されています。

<黄梅院の紅枝垂れ桜>写真右
17040604 黄梅院(飯田市江戸町3)の山門わきにあるベニヒガン系の枝垂れ桜。紅梅かと思うほど濃い紅色の花が特徴。高さ約18m、推定樹齢400年。飯田市天然記念物。
 古木にもかかわらず樹勢の衰えを見せず、傘状に枝が垂れた典型的な枝垂れ桜の樹形で、色も形も秀逸です。古い枝に代わって伸びた新しい枝が現在の整った樹形を形成しているとのことです。

<阿弥陀寺の枝垂れ桜>
 阿弥陀寺(飯田市丸山町2)境内の枝垂れ桜で、上記のとおり飯田城主脇坂安政お手植えの桜と伝えられています。高さ11m、推定樹齢400年。飯田市天然記念物。
 これも古木ながら樹勢盛んで、枝張りは東西14m、南北18.5mの広がりがあり、品格を感じさせます。花はつぼみから開花直後あたりまで赤みがありますが、次第に淡い色になります。
 中心市街地から大平街道を西に向かい、中央道を越えて少し山側に入ったあたり。駐車場あり。

<増泉寺の天蓋枝垂れ桜>写真右
17040605 増泉寺(飯田市大瀬木)境内の枝垂れ桜。推定樹齢300年。ドーム状に広がる枝にピンク色の花が咲き、境内をいっぱいにおおいます。思わず中に入って見上げたくなりますが、根元を踏むのは厳禁です。
 中心市街地から国道153号を阿智村方向に進み、中村交差点の手前で右折して細道に入り、少し山側に上ったあたり。駐車場あり。

<専照寺の枝垂れ桜>
 専照寺(飯田市伝馬町2)の本堂わきにある枝垂れ桜。高さ約10m、推定樹齢400年。
 釈迦如来像をおおうようにピンク色の天蓋が広がる。山門は小笠原家住宅の鼓楼門を移築したもので、屋根の上に鐘楼が乗る珍しい構造をしています。参道からこの山門を額縁に見立てて桜を見る構図もあります。

<立石寺前のシダレザクラ>
 立石寺(飯田市立石)の前に立つ枝垂れ桜の老木。鎌倉時代に植えられたともいわれ、飯田市内で清秀桜に次いで2番目に古い桜といわれています。飯田市天然記念物。
 高さ8m。すでに幹が失われ、樹皮のみで生命を保っている状況ですが、今なお春には花を咲かせます。元は「立石寺ゆかりの三本桜」と呼ばれる3本の桜がありましたが、現存するのはこれ1本です。

 (つづく)

飯田周辺の銘桜―その1

 きょう4月5日、天龍峡と市街地周辺の一部の桜が開花しました。明日あたり、中心市街地の「大宮通り桜並木」の標本木(ソメイヨシノ)も開花するのではないでしょうか。平年(4月4日)より少し遅い程度ですが、近年は3月下旬に咲くことが多いので、ずいぶん遅く感じます。市街地周辺など平地では、今週末から来週にかけて一斉に見ごろを迎えるでしょう。

 開花情報は飯田市ホームページの「さくらさく」をご覧ください。おもな銘桜の地図や交通案内もあります。
 南信州広域連合と飯田観光協会が運営する「南信州ナビ」ホームページの観光―桜コーナーにも、32か所の桜が紹介されています。

17040501 飯田周辺には桜の古木・銘木や名所がたくさんあり、近年、人気を集めています。県や市町村の天然記念物に指定されているものが20件以上。さらに昔から知られる銘桜に加え、近年新たに名前がつけられた桜もあり、その数は100近くに上ります。
 桜前線はおおむね南から北へと進むものですが、この地域ではそれ以上に標高の影響が大きく、平地から山の上へと次第に桜前線が上ります。早いところと遅いところでは開花や見ごろの時期が1か月前後も違い、市街地から少し足を延ばせば、長期間さまざまな桜を見られるのもこの地域の特長です。

 樹齢数百年以上になる木もあるとはいえ、桜も寿命のある生き物なので、古くなると勢いも衰え、傷も目立ってきます。古いほどいいというものではないので、初めて訪れる方は、まずは勢いのある盛木を楽しむことをお勧めします。それから古木にも足を運んで、風雪に耐えてきた年月を思い、それぞれの味わいを楽しんでください。

   ☆   ☆   ☆

 現在の飯田でもっとも見応えのある銘桜といえば、まずは「安富桜(長姫の江戸彼岸)」と「麻績の里 舞台桜」の2本で異論はないでしょう。

<安富桜>写真右上が昼、右下がライトアップ
 中心市街地の飯田市美術博物館(飯田市追手町2)の前庭にあります。ここは飯田城二の丸の跡で、ここに住んでいた飯田藩(堀氏)家老の安富氏が植えた桜と伝えられています。「安富桜」と広く一般に呼ばれるようになったのは近年で、長野県天然記念物としての登録名は「長姫のエドヒガン」です。
 堀氏が脇坂氏に代わって藩主として飯田に入ったのは寛文12(1672)年なので、その直後に植えられたとすると、推定樹齢350年前後になります。すでに古木といえる樹齢ですが、まったく衰えを感じさせず、まさに今が盛りの風情。樹高20m、幹回り数m、地上から高さ2.2mほどのところで大きく4本に枝分かれし、四方に枝を広げて堂々たる樹形を形成しています。例年の見ごろは4月上中旬です。

17040502<麻績の里 舞台桜>写真左上が昼、左下がライトアップ
 飯田市座光寺自治振興センターの裏側の高台、旧座光寺麻績学校校舎(県宝)の前庭にあります。以前は「旧座光寺小学校の枝垂れ桜」と呼ばれていましたが、平成17(2005)年に改めて「麻績の里 舞台桜」と名付けられました。
 旧麻績校舎は明治7(1874)年に建てられて昭和60(1985)年まで使われた小学校の建物ですが、1階が芝居舞台、2~3階が学校という変わった構造をしています。明治初期、この地域では地芝居(農村歌舞伎)が流行っていて、ここでも先に舞台を建設する計画が決まっていましたが、学校も必要になり、舞台と学校を合体させて建てたのだそうです。現存する県内最古の木造校舎で、舞台も県内最大規模です。桜の名前はこの校舎にちなんだものです。
17040503 この桜は半八重彼岸枝垂れ桜という特殊な種類で、財団法人「日本花の会」によって新品種と判定されました。1本の木に5~10弁の花(正確には、5弁花で、雄しべが花弁に変化した旗弁がいくつか混ざる)が咲きます。平成16(2004)年に花弁の出現率を調べたところ、5弁花15%、6弁花33%、7弁花25%、8弁弁19%、9弁花7%、10弁花1%で、10弁花はなかなか見つからないようです。飯田市天然記念物です。
 推定樹齢350年とされています。例年の見ごろは4月上旬。今年は8・9日に桜祭りがあり、小学生による桜ガイド、邦楽演奏、茶席などが予定されています。

 なお「麻績の里 舞台桜」の近くに、「麻績の里 石塚桜」(写真右)と名付けられた桜もあります。石塚1号古墳という6世紀後半の円墳の上に立つ、推定樹齢250年の枝垂れ桜です。

 (つづく)

大鹿歌舞伎が国重要無形民俗文化財に

 大鹿村に伝わる地芝居「大鹿歌舞伎」が国重要無形民俗文化財に指定されることが決まりました。地芝居(農村歌舞伎)の分野での指定は全国初だそうです。大鹿歌舞伎は近年、原田芳雄の遺作となった映画「大鹿村騒動記」(2011年公開)などによっても広く知られるようになりましたが、今回の指定により、文化財としての最大級の価値が認められるとともに、民俗学的・文化史的にも全国を代表する重要な価値を持っていることが認められたことになります。

 こちらは大鹿村ホームページの大鹿歌舞伎情報コーナー、また、こちらは大鹿村観光協会ホームページの特集―大鹿歌舞伎コーナーです。
 定期公演は年2回で、春の公演は5月3日に大磧神社で、秋の公演は10月第3日曜日に市場神社で。

 国の文化審議会が1月27日に開かれ、新たに重要有形民俗文化財に3件、また重要無形民俗文化財に7件を指定するように文部科学大臣に答申しました。3月に文部科学大臣によって正式に指定される運びとなります。国の重要無形民俗文化財は、今回の7件を加えると全部で303件になります。
 飯田市周辺ではこれまでに「遠山郷の霜月祭り」(飯田市南信濃と飯田市上村の2件)、「天龍村の霜月神楽」、「新野の雪祭り」(阿南町)、「新野の盆踊り」(同)の5件が重要無形民俗文化財に指定されており、大鹿歌舞伎で6件目。ほかに選択無形民俗文化財も10数件あり、まさに民俗文化財・民俗芸能の宝庫です。歌舞伎と共通性の多い人形浄瑠璃も各地に伝わっており、今田人形(飯田市龍江)、黒田人形(飯田市上郷)、早稲田人形(阿南町)が選択無形民俗文化財になっています。また同じ地芝居として、下條村にも下條歌舞伎があります。

 大鹿歌舞伎については昨年3月、「飯田周辺の御柱祭(下)」の記事の中でも少し紹介しました。重なる部分もありますが、改めて紹介します。

17013101 大鹿村では大正時代ころまで芝居のことを狂言と呼びました。特に鹿塩地区が早くから盛んで、地元の古文書に江戸中期の明和4年(1767)年に「かしを狂言」が上演されたという記述があります。この時点で鹿塩狂言という呼び名があったということは、もっと前から行われていたものと考えられ、300年以上前から行われていたとも言われています。
 寛政(1789~1801年)の頃には、飯田から俳優を招いて芝居をしたり、村の若者が他の村で狂言を演じたという記録があります。その後も祭礼で地芝居を演じたり、また江戸後期から明治中期にかけて村内各地の神社に舞台を建立した記録があります。

 江戸時代、幕府は寛政11(1799)年の人寄禁止令や、天保12(1841)年の農民による歌舞伎・浄瑠璃などの禁止で、地芝居の上演を禁止しました。また明治時代に入っても、明治6(1973)年に県の令達で神社の舞台で地芝居を行うことが禁止されました。そうした禁令の時代を乗り越えて、大鹿歌舞伎は受け継がれてきました。

 明治中期から昭和初期にかけては日露戦争の戦勝祝賀、大正天皇即位祝賀、昭和天皇即位祝賀などで歌舞伎が上演されています。男性が兵役に出た戦時中には女性が役者を務めて上演したこともあり、歌舞伎の上演がなかったのは終戦の年などわずかでした。
 戦後は昭和22(1947)年5月3日に憲法発布記念祝賀の歌舞伎公演が行われました。ちなみに、現在でも大鹿歌舞伎の春の定期公演は5月3日と決まっています。

 昭和36(1961)年に保存会が発足。村は昭和49(1974)年に大鹿歌舞伎を村無形文化財に指定し、翌昭和50(1975)年には中学校に歌舞伎クラブが発足して、歌舞伎への愛着や誇りを継承するとともに、後継者育成の基礎となりました。
 昭和52(1977)年に県無形民俗文化財、平成8(1996)年に国選択無形民俗文化財に指定されました。
 平成12(2000)年には地芝居として初めて国立劇場(大阪府)で上演。また、これまでにオーストリア、ドイツなど海外でも公演しています。

 伝わっている演目は約30で、人気のある十八番は「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」、「絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段」、「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」、「奥州安達原三段目 袖萩祭文の段」など。
 演目の中でも、平家の生き残り悪七兵衛景清が頼朝に戦いを挑む「六千両後日之文章 重忠館の段」は、中央の歌舞伎を含め他では全国どこにも見られない、大鹿歌舞伎にしか伝わっていない演目とされています。映画「大鹿村騒動記」に登場するのもこの演目で、原田芳雄が景清を演じ、歌舞伎のあらすじと絡み合いながら映画の物語が進行します。
 一方、あまり上演されない演目もあり、平成12(2000)年には大鹿中学校歌舞伎クラブが50年近く上演されず「幻の外題」と呼ばれてきた「源平咲別躑躅 扇屋の段」を上演し、話題を呼びました。

 大鹿村では江戸後期から明治中期にかけ、村内各地の神社やお堂の境内13か所に舞台が建てられました。その後、取り壊したり集会所に改造したりで、現在も残っているのは7か所。春秋の定期公演が行われるのは大磧神社と市場神社の舞台で、いずれも間口6間、奥行き4間の大きさで直径3間の回り舞台を持っています。

 客席は春秋の風が流れる青天井の神社境内で、観客はそこで弁当を広げ、酒を酌み交わしながら芝居を楽しみます。まったく堅苦しさのない開放的な空間と、見せ場で声援が飛び、おひねりが飛び、やがて舞台と客席の間に生まれる一体感。そこに何とも言えない心地良さがあります。最後の手打ち「おしゃしゃのしゃん」まで体験すれば、その思い出は一生忘れられないものになります。

 今回の文化審議会の解説資料によると、大鹿歌舞伎は「我が国を代表する地芝居」で、「近世以来の地方の村落における芸能の受容や展開を示すとともに、独自の演技・演目を有するなど地域的特色や芸能の変遷の過程を示すものとして重要」。また「舞台装置や演技・演出に大鹿歌舞伎独自の形がみられ、村民の手で長く伝承されてきたことを示している」と評価されています。

遠山郷の霜月祭り

 「遠山郷の霜月祭り」(国重要無形民俗文化財)が今年も12月1日から始まり、15日まで遠山郷(飯田市上村・南信濃)の9神社で順次行われています。貞観年間(859~877)に宮中で行われた湯立神楽の形式を今に伝えるといわれ、大釜に湯をたぎらせ、全国の神々を迎えもてなします。近年では宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」の発想の元になった祭りとしても知られています。次々に神々の面(おもて)が登場し、湯殿の周囲で舞い、時には見守る人々の中に背中から飛び込みます。また煮えたぎる大釜の湯を素手で跳ね飛ばし、このみそぎの湯がふりかかると邪気を払い健康で過ごせると伝えられています。冬至の前、太陽の光が最も弱まる季節に、神々と山里の人々が一体となって一陽来復を祈り、新たな年を待つ祭りです。

 祭りの概要、日程、各神社の場所などについては、「遠山の霜月祭り」ホームページをご覧ください。神社ごとの式次第、登場する面、歴史と特徴などもまとめられています。また八十二文化財団ホームページ「信州の文化財」コーナーの記事も分かりやすくまとめられています。

 本祭は現在でも12時間から長いところは20時間に及びます。神名帳を奉読して全国66州の一宮の神々をお招きした後、湯立てを何度も何度も繰り返すため、時間がかかるのです。「寒い、眠い、煙い」祭りと言われる所以です。
 湯立てに続いて「四つ舞」などいくつかの舞をおさめ、全国から招いた神々をお返しして(中祓いと呼ぶ神社もあり、まるで宴会の中締めのようです)、「鎮めの湯」をはさんで祭り終盤になると、地元で祀られている神々の面が次々に登場してクライマックスを迎えます。登場する面は神社によって異なりますが、宮天伯または猿、火王と水王、爺と婆、遠山氏一族はほぼ共通です。素手で湯を跳ね飛ばしたり、神々の荒々しい舞で最も盛り上がるのはこの時です。
 祭り終盤、周囲を囲む氏子たちが「よーっせっ、それ、よーっせっ」と独特の掛け声ではやし立てると、稲荷が声に合わせて走り、背中から氏子の中に飛び込んだりする場面があります。実に楽しいひと時です。また祭りの途中、盛り上がった若者たちが「よっせ、よっせ、よっせ、よっせ」と叫びながら氏子たちを巻き込んで押し合うこともあります。危ないといえば危ないので、見に行く方は知っておいてください。

 神社により、昼ころ始まり午後9時ころから面が登場して深夜に終わるところもあれば、翌朝にならないと面が登場しないところもあります。大雑把に言うと、南信濃の5神社は午後9時過ぎから面が登場して深夜に終了、上村下栗は深夜に面が登場して未明に終了、上村の上町・中郷・程野は翌日早朝に面が登場して夜が明けてから終了します。

 今年の本祭の日程は次のとおりです。
◇12月1日 八日市場・日月神社(飯田市南信濃八日市場)
 正午~午後12時、面の登場は午後9時から。25面
 ※隣接集落の中立・正一位稲荷神社(飯田市南信濃中立)と隔年交代で、西暦奇数年は中立、偶数年は八日市場
◇12月第1土曜日(今年は3日) 中郷・正八幡宮(飯田市上村中郷)
 午前11時~翌日午前6時半、面の登場は午前5時から。16面
◇12月第1日曜日(今年は4日) 小道木・熊野神社(飯田市南信濃小道木)
 午後1時~翌日午前1時、面の登場は午後10時から。37面
◇12月第2土曜日(今年は10日) 木沢・正八幡神社(飯田市南信濃木沢)
 午後1時~翌日午前0時半、面の登場は午後9時半から。32面
◇12月11日 上町・正八幡宮(飯田市上村上町)
 午前11時~翌日午前7時、面の登場は午前5時半から。17面
◇12月13日 下栗・拾五社大明神(飯田市上村下栗)
 午前9時~翌日午前3時、面の登場は午前0時から。39面
◇12月13日 和田・諏訪神社(飯田市南信濃和田)
 午後0時半~12時、面の登場は午後9時から。41面
◇12月14日 程野・正八幡宮(飯田市上村程野)
 午前11時~翌日午前6時、面の登場は午前4時半から。15面
◇12月15日 八重河内・尾野島正八幡社(飯田市南信濃野島)
 午後1時~12時、面の登場は午後9時から。41面

 中郷、木沢、上町、程野の4地区では仮眠所を開設します。場所は集会所などで、料金は1000~1500円、暖房のみで夜具はありません(一部は毛布の貸出あり)。申込先などはこちらの遠山郷観光協会日記の記事をご覧ください。

 上記のほか、かつては木沢の上島・白山神社、須沢・宇佐八幡神社、和田の大町・遠山天満宮でも行われていましたが、現在は休止しています。

   ☆   ☆   ☆

 霜月とは旧暦11月のことで、太陰太陽暦で必ず冬至を含む月となります。だから霜月の初めに冬至(新暦12月22日ころ)が来る年だと、新暦12月の前半は霜月でなくまだ神無月(旧暦10月)ですが、冬至に合わせて一陽来復を祈るという祭りの趣旨からいえばこの時期が最もふさわしく、それを「霜月祭り」というのは最もふさわしい呼び方でしょう。

 同様の湯立神楽の祭りは、遠山郷のほか、天竜川中流域山間の長野県天龍村3地区(霜月神楽)、愛知県奥三河17地区(花祭)、静岡県佐久間3地区(花の舞)にもあります。祭りの起源や伝播には何らかの共通性あるいは関連性があると思われますが、霜月祭り圏と花祭圏は日常生活圏としてまったく別々で、祭りの内容もこの両圏に大別されます。

 遠山郷の霜月祭りは神仏習合の両部神道の形式とされています。大きくは伊勢神楽の系統に分類されますが、より古い起源は熊野系です。たとえば上町の正八幡宮では、旅の途中で立ち寄った熊野の修験者にお願いして木火土金水の五神を祀ったことが神社の起源という伝承があります。各地の祭りは修験者の儀式が土地に定着し、時代の変遷とともに他の要素が加わって現在の形が整えられてきたと考えていいでしょう。
 地元では昔から霜月祭りのことを「死霊祭」とも呼んできました。これは祭りの中に、江戸時代初期に改易された領主・遠山氏一族の御霊を鎮める儀式があるからです。改易の理由はお家騒動(相続争い)ですが、遠山氏の暴政に怒った領民が一揆を起こして一族を皆殺しにしたという伝承があり、その後、飢饉や疫病があったため、たたりを恐れて遠山氏一族を祀り(いくつかの神社では実際に神として合祀)、従来からあった湯立神楽の祭りに鎮魂の儀式を加えたとされています。その後に、神社によって、末社や集落の他の社祠に祀られている多くの神々の面も加わっていったようです。
 遠山郷を支配した信州遠山氏については、室町時代中期には遠山郷にいたと見られますが、戦国時代に和田城を築いた遠山景広より前の系譜は不明です。ちなみに江戸時代後期の町奉行「遠山の金さん」(遠山金四郎景元、旗本)は美濃の明知遠山氏の分家で、遠山景広は戦国時代に明知遠山氏から分かれた一族という説がありますが、和田城築城と話の前後関係が合わず、まったく眉唾です。

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 現在休止している3神社を含む13神社の霜月祭りは、面の構成、湯殿の造り、次第などによって4つの系統に分けられます。上町(上町、中郷、程野)、下栗(下栗)、木沢(木沢、八日市場、中立、小道木、上島、須沢)、和田(和田、八重河内、大町)の4系統です。このうち上町系、下栗、木沢系は共通点が多く、和田系は独自色が強くなっています。

 面の最も基本的な構成は、宮天伯(和田系は猿)、火王と水王、爺と婆、八社神(遠山氏一族)です。上町系では火王・水王に木王・土王を加えて四面(よおもて)とし、計15面が基本構成。下栗と木沢系では火王・水王と別に四面があって計17面が基本構成となります。和田系は四面がありません。その他、神社によって山の神、稲荷様、津島様、秋葉様、子安様などの面が加わります。上町系はほぼ基本構成の15~17面ですが、それ以外は25~41面と格段に多くなっています。

 八社神(遠山氏一族)は静かに湯殿の周囲をまわります。陰鬱な感じのする面です。
 上町系は、四面のうちの水王(火伏せ)と土王(湯伏せ)が湯切りを行い、火王と木王(火おこし)が登場して4面そろうと、湯殿の周囲を激しく飛び回ります。最後に富士天伯が弓矢を持って登場し、床を踏み鎮め、矢を五方に射て邪悪を祓います。
 下栗は日天(火王)と月天(水王)、木沢系は大天狗(火王)と小天狗(水王)が湯切りを行います。遠山川で禊ぎをした4人の若者が四面となり、湯殿の周囲を荒く飛び跳ね、最後は拝殿に無理矢理押し込まれます。最後に宮天伯が木製の剣を持って登場し、邪悪を切り祓います。
 和田系は水の王が湯切りを行い、火の王が周囲をまわります。最後に猿が登場し、湯釜を5周半しながら七五三の数に合わせて舞い上がり、締めとします。

 湯釜の数は天地陰陽を表す2つが基本と考えられますが、和田系は1つ、木沢は3つです。
 竈(かまど)は本来は土製で毎年新しく造っていましたが、戦後、鉄製の五徳を使うようになったところもあり、現在、土製は上町、中郷、程野、木沢の4神社で、小道木は煉瓦造り、それ以外の下栗、八日市場・中立、和田、八重河内は五徳となっています。また土製の上町でも、現在では新しく造るのは数年に1度になっています。
 上町の竈は、まず8つの尾根を越えて取ってきた8本の松の丸太を2本ずつ八の字に4方向に火床に打ち込んで芯にします。十二支の方角から12背負の土を取ってきて、二十八宿を表す28把の藁を天地三十六神を表す36切にして土に混ぜ、1年の日数と同じ数の土玉を作ります。この土玉を芯に張り付け、12か月を表す12尋の縄に天地日月七曜九曜二十八宿を表す48のひれを付けたものを巻き、さらに土玉を張り付けて仕上げます。
 木沢の竈は松ではなく石を芯にしているということです。

 湯釜の真上には「湯桁」と呼ばれる四角い木枠が吊るされ、それに渡した注連縄に、「湯の上飾り」と呼ばれるさまざまな切り紙が飾りつけられます。「湯の上飾り」は「湯男」「湯雛」「日月」「人面」「八橋」「花」「千道(ちみち)」「ひさげ」からなり、これらをあわせて「十種の神宝(とくさのかんだから)」と呼びます。「千道」は神々の通り道、「ひさげ」は神々が宿る場所とされています。湯釜から立ち上る湯気で「湯の上飾り」が揺れ動くさまも、生気のよみがえりを象徴するかのようです。

飯田で生きている、あの「三国志」の人形たち

 テレビ放送で大人気を博し、30年余を経た今も根強いファンがいるNHK人形劇「三国志」(放送期間1982~84年)。この番組の制作に使用された川本喜八郎氏(1925年1月11日~2010年8月23日、アニメーション作家・人形美術家)の人形は今、飯田市川本喜八郎人形美術館にあります。NHK人形歴史スペクタクル「平家物語」(放送期間1993~95年)や、その他の人形アニメーションで使われた人形などもあります。
 こちらが川本喜八郎人形美術館ホームページです。また、こちらは川本喜八郎公式ウェブサイトで、「三国志」、「平家物語」、長編・短編アニメの作品と人形の紹介があります。

 川本氏が初めて「人形劇のまち」飯田を訪れたのは1990年の人形劇カーニバルで、日中合作人形劇「三国志」の招待公演でした。その2年後、飯田で川本氏の人形アニメーションの上映会が開かれた際、観客からの質問がいずれも人形の本質に迫るものだったことに驚き、またアンケートの中に「人形が生きている」という感想が多数あったことに感銘を受けたといいます。その後、飯田に江戸時代から300年にわたる人形浄瑠璃の伝統があることを知り、黒田人形や今田人形が今も続き、さらに人形劇カーニバル(現在の人形劇フェスタ)が毎年開催され、人形や人形劇に対する感性が今も連綿と育まれていることを実感して、飯田市に人形を寄贈することを決めたそうです。
 川本喜八郎人形美術館は2007年3月、飯田市の中心市街地にオープンし、川本氏が館長に就任しました。
 人形の寄贈が飯田市から正式に発表されたのは1995年6月で、それから川本氏の意向に沿った美術館がオープンするまで12年もかかったわけですが、その間に川本氏は何回も飯田を訪れています。1998年4月には、「木を植えた男」で知られるカナダのアニメーション作家フレデリック・バック氏夫妻を伴って来飯し、3日間にわたって飯田市周辺を案内しています。「日本の農村風景を見たい」というフレデリック氏の希望に応えたもので、その頃にはかなり飯田に親しみ、飯田の事情にも通じていた様子がしのばれます。

 美術館オープンにあたり、川本氏は「飯田には『人形が生きている』と感じる血がある」、「私の人形が行きたいと思える場所は飯田のほかにない。人形が『行きたい』と決めた」という言葉を残しています。また川本氏は「この美術館の真の使命は人を育てること」と述べ、その考えに沿って美術館では展示や人形アニメ上映だけでなく、ワークショップ、三国志こども写生大会などが行われています。
 こうした川本氏の思いは、川本喜八郎人形美術館ホームページの「美術館について」コーナーに「寄贈メッセージ」として掲載されています。この文章は1994年12月、人形の寄贈を決意した川本氏が飯田市に送ったものです。

16080201 川本氏は人形を作ることを「彼等が生まれてくるのをお手伝いする」、「人形が私の手を借りて生まれてくる」と表現していました。また「人形は人間の代わりではない」という言葉も残しています。人形やアニメには、人間の俳優が演じるのとは違う演技・表現があり、そこに人形の生命が宿ると考えていたのでしょう。「三国志」の人形は1人ひとり、他の誰でもなく、その人物として生まれてきました。
 右の写真は美術館パンフレットで、表紙の人形は代表作の1つといえる諸葛亮孔明。川本氏は人形劇「三国志」のために約200体の人形を作りましたが、中でも孔明には特別の思い入れがあったようで、「孔明のカシラはなかなか生まれてくれなくて、出来上がってみると、『私は違うよ』とのたまい、4度作り直して、くたくたに疲れ果てた夜中に、やっと『私が孔明だ』と名乗りをあげてくれた」と回想しています。

 今年は美術館オープンからちょうど10年目。毎年2回ほど展示替えがあり、6月初めに19回目の展示替えが行われました。
 現在の展示テーマは三国志「後漢末―三顧の礼」。まず呂布と貂蝉、黄巾党の張3兄弟、漢朝の弘農王、陳留王と将軍たち。「三顧の礼」では劉備、関羽、張飛、孔明はじめ劉備配下の趙雲、馬超、黄忠といった豪傑たち。そして曹操、董卓、陶謙、馬騰、袁紹、袁術、劉表といった群雄に、呉の孫堅、孫策、孫権と甘寧、太史慈、程普など。約60体が並び、「三国志」の名場面の数々を思い起こさせます。
 いいだ人形劇フェスタの期間中(8月2~7日)は館内で人形劇の公演やシンポジウムも行われます。

 川本喜八郎人形美術館の開館時間は午前9時30分~午後6時30分(入館は午後6時まで)。休館日は毎週水曜日(祝日開館)と年末年始。入館料は大人400円(20人以上の団体は1人300円)、小中高生200円(同150円)。

いいだ人形劇フェスタ

 国内最大の人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ2016」が8月2日から7日まで飯田市周辺で開催されます。国内外のプロ劇団、アマチュア劇団が大集合し、6日間にわたり138会場で約530公演が行われます。
 いいだ人形劇フェスタのずっと変わらないキャッチフレーズ(基本理念)は「みる、演じる、ささえる」。全国、世界から訪れる人形劇人のステージを観て楽しむとともに、地元の大人や子どもが自分たちで人形劇を演じたり、またスタッフとなって開催を支えます。毎年、人形劇人と市民が力を合わせてつくり上げるイベントです。多くの人形劇人の間に「夏は飯田」の合い言葉で定着し、市民あげてそれを歓迎します。

 公演は大きく分けて「ワッペン公演」と「有料公演」があります。このフェスタの特徴の1つがワッペン方式で、演じる人形劇人も(プロもアマも)、観客も、みんなが参加証ワッペン(700円)を購入する形で参加料を払って参加します(3歳未満は不要)。ワッペンをつけていれば、一部の有料公演を除くほとんど大半の公演を観ることができます。多くのプロの人形劇人も、公演で収入を得るのではなく、逆に参加料を払って参加し、市民や他の人形劇人との交流を楽しむために飯田に来ていると知ったら、ほとんどの人が驚くでしょう。
 もう1つの特徴が飯田市ならではの地域分散方式で、かつて独立した町村だった市内各地域や周辺町村の公民館、学校など、さまざまな会場で公演が行われます。

 有料公演は全36公演で、参加証ワッペンと公演チケットの両方が必要です。当日券は各会場で販売します。
 有料公演の参加劇団は次のとおりです。
 ヨウカイ劇場(フランス)、ポーランド・日本国際共同制作プロジェクト、トレイン・シアター(イスラエル)、カオニャオ(ラオス)with栗コーダーカルテット、トム・リー(アメリカ)&五代目西川古柳、エル・パティオ・テアトロ(スペイン)
 愛知人形劇センター・いいだ人形劇センター共同制作、かわせみ座、人形劇団ひとみ座、人形劇団クラルテ、総合工作芸術家だるま森+えりこ、sound office 音旅舎、くわえ・ぱぺっとステージ、人形師飯田美千香(百鬼ゆめひな)、木偶舎、人形劇団プーク、ベビー・ビー、人形劇団ののはな、人形芝居燕屋+吟遊打人、やまねこ座―人形劇工房、糸あやつり人形劇団みのむし、西川禎一おひとり座、人形劇団京芸、劇団にんぎょう畑、劇団くるま座、影絵人形劇団むむのこ、人形劇団むすび座、よろず劇場とんがらし、ホケキョ影絵芝居、人形劇団ココン、わけちゃんとBUNちゃんとゆかいな仲間、人形劇団ひぽぽたあむ、お伽ラッパ、人形劇団夢知遊座&人形劇団すずきじゅく、JIJO

 有料公演でなく、参加証ワッペンだけで観られる専門劇団は次のとおりです。
16080101 ステファン・プリン(ドイツ)、弘宛然古典布袋戯団(台湾)
 あがりえ弘虫、人形劇団あっけらかん♪、江戸糸あやつり人形、人形芝居えびす座、人形劇団えりっこ、切り絵芸人ブラックマスク、人形劇団くりきんとん、くりくりワールド、グレゴの音楽一座、人形芝居・桜座一家、情熱の福わじゅつ師やないあつ子、人形劇団じろっぽ、すぎのこ芸術文化振興会、想造舎、人形劇だん大福、人形劇団たたくファミリー、人形劇場だぶだぶ、魑魅魍魎絵巻実行委員会、茶問屋ショーゴ、人形劇ちんどん、ツヂバデルコ、デフ・パペットシアター・ひとみ、人形劇団だむならん、人形劇・トロッコ、人形劇団とんと、劇団虹色どんぐり、バーバラ村田、俳優館、げきだんはてな、人形劇団パン、ハンガ~マン、人形劇団ばんび、P.ことり座、ふくろこうじ、ぷろぷろ劇団、ポポルの一座、ほんわかシアター、マーガレット一家、マイムトループ・グランバルーン、ましゅ&Kei、街のお楽しませやさん梅ちゃん、劇団むう、ムンドノーボぽこブヨ~ダン、山添真寛、山本光洋、ゆい・パペットシアター、指人形笑吉、Puppet Theater ゆめみトランク、人形劇団わにこ
 このほか全国から多数のアマチュア劇団、学生劇団が訪れ、地元からも小中高生から大人まで多数の劇団が参加します。

 今年のおもな日程は次のとおりです。
 2日(火) オープニングセレモニー、9:30から20:30開演の26公演
 3日(水) 9:30から20:40開演の53公演
 4日(木) 9:30から20:40開演の72公演
 5日(金) 9:00から21:30開演の128公演
 6日(土) 9:00から22:30開演の163公演
 7日(日) 6:30から15:00開演の91公演

 6日は昼前から夜にかけて中心市街地で「飯田まつり」(第35回飯田りんごん)が開催され、夕方には歩行者天国で人形劇人わいわいパレードがあり、人形や人形劇人と気軽に触れ合うことができます。写真は2011年のパレードです。

 こちらがいいだ人形劇フェスタ公式ホームページです。また、こちらがフェイスブックです。
 ただ、このホームページ、公演スケジュールと会場、ワッペン販売所などの情報がどこにあるのか、ちょっと(かなり?)見付けにくいです。公演スケジュールはページ左側の目次で「今年のフェスタ」を開き、「上演プログラム」コーナーを見てください。会場の場所は、同じくページ左側の目次で「交通アクセス」を開き、「上演会場紹介」コーナーを見てください。
 ワッペン販売所はホームページのどこにも書いてないような気が…あっ、ありました、有料公演ガイドのPDFに(こんなの誰が見付けられるんだ?)。飯田駅観光案内所、まちなかインフォメーションセンター、飯田市役所、飯田文化化会館、中央図書館、川本喜八郎人形美術館、かざこし子どもの森公園、各地区の公民館、市内各地の協力店などで販売しています。
 詳しいことは公式ガイドブックを見るほうが分かりやすいです。スケジュール、会場(マップ)、参加劇団紹介のほか、観光ガイドも載っています。上記ワッペン販売所などでお問い合わせください。

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 「いいだ人形劇フェスタ」の前身の「人形劇カーニバル飯田」は1979年、国際児童年に合わせて第1回が開催されました。飯田周辺は昔から地芝居や人形浄瑠璃が盛んで、今も伊那谷4座と呼ばれる黒田人形(飯田市上郷)、今田人形(飯田市龍江)、早稲田人形(阿南町)、古田人形(箕輪町)が地域の伝統芸能として続いています。カーニバルはそうした土地柄を土台に、全国からプロ・アマ問わず多くの人形劇人を迎えて開催を続けました。10周年を迎えた1988年には、海外劇団を迎えて世界人形劇フェスティバルを併催し、飯田市はウニマ(国際人形劇連盟)本部のあるフランスのシャルルヴィル・メジエール市と友好都市提携を結びました。
 人形劇カーニバル飯田は20周年を区切りにその後のあり方が検討され、1989年から、いいだ人形劇フェスタとして再出発。行政(飯田市)の関わりが強かったカーニバル時代より、行政が一歩引いて、人形劇人と市民が主体となって現在まで運営しています。

本物の星空を見たことがありますか?

 今日は七夕。でも七夕は年に3日あります。7月7日、月遅れの8月7日、そして旧暦7月7日(今年は8月9日)です。
 国立天文台は現在、旧暦(太陰太陽暦)にもとづく七夕を「伝統的七夕」と呼び、星空の観察を呼びかけています。国立天文台ホームページの説明によると、伝統的七夕の日は「二十四節気の処暑(太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(新月)の瞬間を含む日から数えて7日目」と決められています。「何それ?」と思うような定義ですが、要するに旧暦の7月7日です。
 新暦の7月7日は梅雨の末期で星が見られないことが多いため、国立天文台は2001年から伝統的七夕の日をアピールし、「明かりを消して星空に目を向けてみましょう」と呼びかけています。梅雨明け後で晴天率が高いことに加え、旧暦だから7日は必ずわりと早く月が沈み、星空の観察には絶好の夜になります。2011年からは「伝統的七夕ライトダウン」のキャンペーンも行っているそうです。

 私が子どもの頃から親しんできたのは、8月7日の月遅れの七夕でした。ちょうど夏休み中で、自分で笹を取ってきて、里芋の葉の上にたまった水を集めて墨をすり、七夕飾りを作ったりしました。七夕だからといって特別に星空の観察をした記憶はありませんが…

 さて、今年は2、3日前からもう梅雨が明けたかのような夏空で、今夜はきれいな天の川が見られそうです。…と書いたものの、本当に本物の天の川が見られる場所、今の日本にどれくらいあるのでしょうか? もしかすると、生まれてから一度も本物の天の川を見たことがない、本物の星空を知らないという人も少なくないのではないでしょうか?
 きれいな星空を見るためには、まず余計な光がなくて暗いこと、そして空気中のほこりや水蒸気が少なくて空気が澄んでいることが必要です。信州はこうした場所が多く、近年、観光向けに星空の美しさを積極的にアピールしているところもあります。
 飯田近辺では、阿智村が「スタービレッジ阿智」を名乗り、「天空の楽園・日本一の星空ナイトツアー」を実施しています。なぜ「日本一」の看板が許されるのか、という話は後述。富士見台高原ヘブンスそのはら(スキー場)のゴンドラで標高1400m地点まで上り、満天の星空を楽しむことができます。今年の開催期間は4月16日から10月15日まで(ただし5月23日~7月8日、9月20~30日はゴンドラ運休のため休止)。また4月から11月までの間、この星空ナイトツアーがない期間には、昼神温泉宿泊客向けの星空バスツアーがあります。こちらが日本一の星空ナイトツアーのホームページです。今日と明日の夜は、山上で七夕特別企画の「星の音楽会」があります。
 また飯田市上村のしらびそ高原は、夏季なら標高1900mの山上まで車で行けるため、天文ファンに人気のスポットになっています。特に流星群などのある時には多くの人でにぎわいます。時々、星見会なども開催されます。こちらは山上の宿泊施設ハイランドしらびそのホームページです。なお、この近くに御池山隕石クレーターがあるのですが、その話はまた別の記事で。

 さて、阿智村の星空がなぜ「日本一」を名乗れるかというと、その根拠は環境省の全国星空継続観察(スターウォッチング・ネットワーク、1988年夏~2013年冬)で、2006年夏、阿智村浪合の銀河もみじキャンプ場が「夜空の明るさが星の観測に適していた場所」の第1位になりました。
 この観察は、天頂付近を撮影した写真をもとに、どのくらい空が暗いかを比較するもので、阿智村浪合は23.7等級でした。この数字で第1位になれたのはちょっとラッキーで、2008年は23.8等級と数字ではわずかに第1位の年を上回ったのに、順位は第10位でした。ちなみに過去最高は小笠原父島の25.1等級(2010年)で、続いて島根県津和野町日原天文台の24.6等級(同)、沖縄波照間島の24.5等級(2008年)、福井県大野市自然保護センター観察棟の24.4等級(同)などの記録があります。
 銀河もみじキャンプ場では来週の16日(土)、17日(日)にスターナイトウォッチングが開催されます。こちらが銀河もみじキャンプ場のホームページです。

 全国星空継続観察の過去の記録を見ると、上位に多いのは天文台のある場所や離島です。それに対し飯田近辺は、街から少し足をのばせば行ける範囲内の場所で、わりと気軽にきれいな星空を楽しむことができます。ちょっとした山の上やキャンプ場など、多くのスポットがあります。
 ぜひ一度訪れて、子どもさんに本物の星空を見せてあげてください。きっと感動すること間違いなしです。

飯田お練りまつり晴天に恵まれ

 飯田お練りまつり開催中です。今回は3日間通しておだやかな晴天に恵まれそうです。朝は冷え込んで屋外で氷が張りましたが、日中は気温が上がって平年より暖かくなりました。
 私は比較的人出の少ない時間と場所をねらって土曜日の朝から見物に出かけました。もう脚立を持ち歩く元気はないので、カメラだけ持っていきましたが、おかげさまで人気の大名行列も先頭付近に陣取ってしっかり見ることができました。
 写真の右2枚は昼前の中央通り。露店も立ち並んで賑わっています。
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