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飯田周辺の銘桜―その2

 現在の飯田に一本桜の名木が多い理由の1つは、江戸初期の飯田藩主・脇坂氏2代(安元、安政)の治世に由来します。飯田城下町が本格的に形成されたのは安土桃山時代以降ですが、その頃から江戸初期にかけて現在の中心市街地の骨格となる町割りがつくられ、同時に周辺から多くの寺社が集められました。

 脇坂安元は元和3(1617)年に飯田藩主となり、慶安年間(1648~52)に桜町1~3丁目を新設して飯田城下18町を完成させました。また行政の中心となる飯田城の城郭や藩の施設、侍屋敷などを整備しました。
 桜が好きだったようで、藩主の邸宅を建てた際にまわりに多くの桜を植えたため、その曲輪は「桜丸」、その邸宅は「桜丸御殿」と呼ばれるようになりました。安元は当時、武家では第一の歌人としても知られた人物です。

 安政は老中堀田正盛の次男で、跡継ぎを失った安元に養嗣子として迎えられ、安元の死後、寛文12(1672)年に播磨龍野藩に転封されるまで飯田藩主を務めました。転封先の龍野でも「播磨の小京都」と呼ばれる城下町を築きました。
 安政は安元の菩提を弔うために阿弥陀寺に千体佛観音堂を建立し、「阿弥陀寺の枝垂れ桜」を植えました。また安政は兄の菩提を弔うため、「弥陀の四十八願」にちなんで城下48寺に桜を植えたと伝えられ、「正永寺の枝垂れ桜」、「黄梅院の枝垂れ桜」、「専照寺の枝垂れ桜」、「元善光寺の紅枝垂れ桜」などがそれに当たるとされています。

   ☆   ☆   ☆

 きょう4月6日、「大宮通り桜並木」の標準木が開花し、飯田の桜の開花となりました(平年より2日遅れ)。今回は中心市街地の桜を中心に、おもな銘桜をだいたい開花・見ごろの時期が早い順に紹介します。早いものはすでに開花が始まっており、今週末にも見ごろを迎えると思います。

 中心市街地の5本(その1で紹介した「安富桜」を含めて6本)は、市街地の散歩がてら歩いて見て回ることも可能です。周辺部の5本(その1で紹介した「麻績の里 舞台桜」を含めて6本)は車で移動することが必要です。中心市街地は駐車場が豊富にありますが、周辺部は駐車場がせまかったり離れた場所にある場合もあるので注意してください。

<水佐代獅子塚のエドヒガン(水城お立ち符の桜)>
17040601 飯田市松尾水城(みさしろ)の水佐代獅子塚古墳の上に立つエドヒガン。開花時期が早く、この桜の数日後に中心市街地の桜が一斉に開花すると言われています。高さ約17m、枝張りは東西20mに及びます。推定樹齢350年。飯田市天然記念物。
 地元では「お立ち符の桜」と呼ばれています。これは津島神社の護符を立てたことに由来します。水佐代獅子塚古墳は墳丘54.2mの前方後円墳で、古墳時代中期に造られたと考えられています。昨年、国史跡に指定された飯田古墳群の13基の古墳の1つです。
 JR伊那八幡駅から北側の踏切を越えて東に300mほど進むと、左手にあります。駐車場あり。

<正永寺の枝垂れ桜>写真右
 正永寺(飯田市江戸町3)の本堂の前にある枝垂れ桜。高さ約15m、推定樹齢400年。上記のとおり脇坂安政によって植えられた48本の桜のうちの1本とみられています。
 正永寺は天保3(1832)年と明治35(1902)年の2度にわたり火災で本堂を失いましたが、飯田大火は免れ、桜は生き残りました。幹の上部から地面に届くほど大きく垂れた枝に滝のような花を咲かせます。かつては両側に枝が垂れていましたが、今は片側になっています。幹の傷みが目立ちます。
 下記の黄梅院は東隣、専照寺もすぐ近くで、この3か所は無理なく歩いてまわれます。

<くよとの枝垂れ桜>写真右
17040602 飯田市毛賀の旧遠州街道のわきにある枝垂れ桜で、斜面の下に向かって大きく伸びた枝が旧道をおおっています。高さ約15m、推定樹齢350年。飯田市天然記念物。
 「くよと」は桜の下に建てられている「供養塔」がなまったものといわれています。室町~戦国時代の戦乱による死者の霊をなぐさめるために供養塔を建てたとも、脇坂氏が飯田城主だった時代に付近の住民が桜を植えたとも伝えられています。桜の下には秋葉様などの石碑と2基の常夜灯があり、地元住民の手で絶やすことなく燈明が灯されています。
 360度どこから撮っても絵になる桜で、残雪の南アルプスを背景にした構図も外せません。
 JR毛賀駅あたりの国道151号から高台側に向かって細道を入っていった先ですが、詳しい地図を見ないと分からないと思います。桜の近くには駐車場がまったくないので注意してください。適当に駐車できる場所を探して車を置き、歩いていくしかありません。

<清秀桜>写真右
17040603 愛宕神社(飯田市愛宕町)の境内にあるエドヒガンの古木。仁治元(1240)年に清秀(せいしゅう)法印が植えたと伝えられ、樹齢は約780年。飯田市内最古の桜で、飯田市天然記念物。
 高さ8mと低く、古いだけに幹は傷みが目立ちますが、横に大きく伸びた枝には今でもたくさんの花が咲きます。
 動物園西隣の駐車場を利用するのがおすすめです。

<桜丸の夫婦桜>
 県飯田合同庁舎(飯田市追手町2)の東側にあり、エドヒガンと枝垂れ桜が寄り添って1本に見えることから「夫婦桜」と呼ばれています。高さ約20m、推定樹齢400年。
 ここは飯田城の桜丸御殿(藩主などの邸宅)があった場所で、江戸初期に脇坂安元が屋敷を建て、曲輪に多くの桜を植えたことから「桜丸」と呼ばれるようになりました。
 桜丸御殿の南側に宝暦4(1754)年に建てられた門が飯田城桜丸御門で、現在「赤門」と呼ばれているものです。
 土日祝日は合同庁舎の駐車場が開放されています。

<黄梅院の紅枝垂れ桜>写真右
17040604 黄梅院(飯田市江戸町3)の山門わきにあるベニヒガン系の枝垂れ桜。紅梅かと思うほど濃い紅色の花が特徴。高さ約18m、推定樹齢400年。飯田市天然記念物。
 古木にもかかわらず樹勢の衰えを見せず、傘状に枝が垂れた典型的な枝垂れ桜の樹形で、色も形も秀逸です。古い枝に代わって伸びた新しい枝が現在の整った樹形を形成しているとのことです。

<阿弥陀寺の枝垂れ桜>
 阿弥陀寺(飯田市丸山町2)境内の枝垂れ桜で、上記のとおり飯田城主脇坂安政お手植えの桜と伝えられています。高さ11m、推定樹齢400年。飯田市天然記念物。
 これも古木ながら樹勢盛んで、枝張りは東西14m、南北18.5mの広がりがあり、品格を感じさせます。花はつぼみから開花直後あたりまで赤みがありますが、次第に淡い色になります。
 中心市街地から大平街道を西に向かい、中央道を越えて少し山側に入ったあたり。駐車場あり。

<増泉寺の天蓋枝垂れ桜>写真右
17040605 増泉寺(飯田市大瀬木)境内の枝垂れ桜。推定樹齢300年。ドーム状に広がる枝にピンク色の花が咲き、境内をいっぱいにおおいます。思わず中に入って見上げたくなりますが、根元を踏むのは厳禁です。
 中心市街地から国道153号を阿智村方向に進み、中村交差点の手前で右折して細道に入り、少し山側に上ったあたり。駐車場あり。

<専照寺の枝垂れ桜>
 専照寺(飯田市伝馬町2)の本堂わきにある枝垂れ桜。高さ約10m、推定樹齢400年。
 釈迦如来像をおおうようにピンク色の天蓋が広がる。山門は小笠原家住宅の鼓楼門を移築したもので、屋根の上に鐘楼が乗る珍しい構造をしています。参道からこの山門を額縁に見立てて桜を見る構図もあります。

<立石寺前のシダレザクラ>
 立石寺(飯田市立石)の前に立つ枝垂れ桜の老木。鎌倉時代に植えられたともいわれ、飯田市内で清秀桜に次いで2番目に古い桜といわれています。飯田市天然記念物。
 高さ8m。すでに幹が失われ、樹皮のみで生命を保っている状況ですが、今なお春には花を咲かせます。元は「立石寺ゆかりの三本桜」と呼ばれる3本の桜がありましたが、現存するのはこれ1本です。

 (つづく)

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