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飯田市のシンボル風越山

 きのう8月11日は初の「山の日」。新たな国民の祝日となって1年目で、北アルプスの玄関口として知られる上高地(松本市)では、皇太子さまご一家をお迎えして第1回「山の日」記念全国大会の記念式典が開かれました。ご一家は式典の後、上高地の散策を楽しまれたということで、緑あふれる山の空気や澄んだ水でリフレッシュしていただけたのではないかと思います。

 さて、「山の日」にあわせて信州の本格的な山岳を紹介したかったところですが、その前に今回は飯田市の風越山(標高1535m)を紹介します。飯田市の中心市街地の背後にそびえる姿のよい山で、かなり広い範囲からよく見え、飯田市のシンボルとなっています。誰でも気軽に登れる山で、前山の虚空蔵山ともども地元住民に親しまれています。また田中澄江著「新・花の百名山」(文藝春秋社)、清水栄一著「信州百名山」(桐原書店)などにも選ばれ、遠方から訪れる山好きの方もあるようです。

16081101 「風越山」は「かざこしやま」と読みます。
 私が子どもの頃は「ふうえつざん」あるいは「権現山(ごんげんやま)」と呼ぶことが一般的だった気がします。ふもとにある飯田風越高校は飯田「ふうえつ」高校と読み、地元で単に「ふうえつ」と言えばこの高校のことを指します。その他、名称の中に「風越」が入っている公園や郵便局、施設、企業などが周辺にいくつもありますが、大概「ふうえつ」と読みます。これが原因で、風越山も「ふうえつざん」と呼ばれるようになったと言われています。
 飯田市内の小中高校の校歌には、よく歌詞に「風越(山)」が出てきます。読み方はいずれも「かざこし」です。したがって本来の読み方は「かざこしやま」だったと考えられます。長野県内の山を紹介するガイドブックなどでは、今でも「ふうえつざん」とルビを振っている事例が見られますが、これは適切ではありません。
 現在、改めて「かざこしやま」という読み方が普及し一般化したのは、1987年に発足した「風越山(かざこしやま)を愛する会」の活動によるところが大きいと言えるでしょう。この会は「風越山イラストマップ」の発行をきっかけとして発足し、風越山の自然と文化財を守る活動を続けています。元旦登山をはじめ四季折々の登山、動植物観察会、登山道整備・案内板設置などを行っています。私も20数年前に登山会に参加したことがあります。こちらが「風越山を愛する会」のホームページです。
 ただし、歴史的には「ふうえつざん」と読むことが正しかったと思われる事例もあります。それは室町時代末期に山麓にあったとされる「風越山白山教寺」で、寺院の山号なので「かざこしさん」ではなく「ふうえつざん」だろうと思います。

 「風越山」あるいは「風越」という地名は長野県内に他にもあり、全国各地に多数あると思います。文字通り、風が越える山という意味でしょう。
 風越山は中央アルプス(木曽山脈)南部の主稜から分かれた尾根の先端で(断層で切り落とされている)、その南に飯田西部山麓の山々が連なっています。これらの峰を越えて、山の向こう側から飯田側に風が吹き下ろします。
 この峰を越える風の動きが目に見えることがあります。たとえば中秋から晩秋にかけて、山の向こう側から吹き上げる上昇気流によって山頂付近で雲ができ、その雲が山のこちら側で吹き下りる風にのって山肌を流れ下り、中腹あたりですうっと消えていきます。昔の人も、こうした風の動きを見て、「風越」という地名を付けたのでしょう。

 風越山はもともとは白山信仰(山岳修験道の1つ)の修行場でした。白山権現がまつられていることから、最初に書いたように「権現山」とも呼ばれてきました。
 地元に伝わる「白山寺歴代記」によると、風越山は奈良時代の718年、泰澄大師によって開かれたとされています。泰澄大師は717年に白山を開山した修験者で、各地に数々の伝説を残しています。風越山の開山もこうした伝説の1つと考えられ、必ずしも史実とは言えませんが、平安~鎌倉時代までに風越山が修験道の修行場になっていたことは十分に考えられます。
 山頂の手前に、室町時代末期の1509年に建てられた白山社奥宮(国重要文化財)があります。また麓に白山社里宮がありますが、この里宮は江戸時代までは天台宗の白山寺という大きな寺院でした。修験道は日本古来の山岳信仰に密教的仏教、道教などが結びついたもので、もともと神仏習合です。
 白山社の祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)の三柱で、加賀の白山神社の祭神、日本神話の国造りの祭神、出雲大社の祭神を一緒にまつっています。
 白山寺は江戸時代に最も隆盛し、山麓から山頂周辺まで多くの建物や石造物がつくられました。明治初期の神仏分離によって白山寺が白山社里宮になり、仏教的な建物の多くが失われましたが、石造物は今でも残っています。奥宮の近くには役小角像、名号石(南無阿彌陀佛と彫られた巨石)、弘法大師磨崖像などがあります。
 風越山は自然豊かで、山頂はブナの自然林、登山道沿いの斜面にはベニマンサク群生地(県天然記念物)があります。四季折々の花、野鳥や動物、チョウやトンボなど多種多様な生き物が観察できます。

 登山道は、白山社里宮から登る表参道のほか数ルートあります。ふもとと山頂の間の所要時間は登り3時間、下り2時間といったところ。誰でも登れる山とはいえ、奥宮の手前には行者越えと呼ばれる昔の難所があり、奥宮と山頂の間には鎖をたよりに上り下りする断崖もあります。市街地との標高差が約1000mもあるのはダテではなく、かなり傾斜の急な場所もあるので、きちんとした足ごしらえが必要です。また雨が降ればたちまち登山道が川に変わるので、天候にも注意が必要です。
 登山コースや安全上の注意については、こちらの「信州山歩き地図」ホームページも参考に。作者の中嶋豊さんは長年、長野県警察山岳遭難救助隊員として活躍し、第9代隊長を務めた人。イラストが特技で、自ら登って確かめた山の様子を分かりやすくマップにまとめて公開しています。

  ☆   ☆   ☆

 風越山が飯田市周辺のかなり広い範囲から見えることを利用して、毎年「6月1日に風越山を撮ろう」というイベントが行われています。2002年から始まり、今年で15回目になりました。
 風越山はどこから見るのが最も美しいか―。その答えは人それぞれ。みんな自分の見慣れた風越山が一番いいと思っています。そんな風越山の姿を写真に撮って一堂に集めて並べてみよう、という発想で始まったのが、このイベントです。毎回200点近くの作品が集まります。
 なぜか「6月1日午前11時11分」にシャッターを切る決まり(?)になっています。

  ☆   ☆   ☆

 2016年10日10日の「体育の日」に、第62回風越登山マラソン大会が開催されます。登山マラソンのほか、虚空蔵山まで歩いて登るウォーキング、小学4~6年生も参加できる「みんなで走ろう」が同時に行われます。9月9日まで参加申込を受け付けています。こちらが飯田市ホームページ内の開催情報です。
 スタート・ゴールはふもとの今宮野球場(標高540m)で、最長の白山社奥宮(標高1490m)までのコースは12.4km、標高差950mになります。中学生が参加できる虚空蔵山までのコース(8.7km、標高差590m)や、登山道の途中の石灯籠までのコース(4.9km、標高差250m)もあります。
 始まったのは大正時代という伝統ある登山マラソン。地域内外から多くの長距離ランナー、健脚自慢が参加します。私も中学1年生の時に虚空蔵山までのコースに参加したことがあります。子どもの頃から何度も登っている山でコースの様子は知っており、多少の自信はありましたが、まだ1年生で、順位は気にせずにマイペースで登ったところ、頂上の折り返し地点で10何番。意外にいい順位だったので欲を出して調子に乗って下り始めたところ、途中で横腹が痛くなって走れなくなり…ゴールした時は全体の真ん中くらいでした。
 景色を楽しむ余裕はありませんが、風越山そのものを全身で感じるにはいい機会。昔の修験者はこんな修行をしていたのかもと、想像しながら走るのもいいでしょう。

 種目は次のとおりです。
<登山マラソン>
◇白山社コース12.4km
(A)一般男女・高校生男子
◇虚空蔵山コース8.7km
(B)一般男子・中高校生男子
(C)50歳以上男子
(D)一般女子・中高生女子
◇石灯籠コース4.9km
(E)一般男子・高校生男子
(F)中学生男子
(G)一般女子・中高生女子

<みんなで走ろう>
◇3.8km
(H)一般男子・高校生男子
(I)中学生男子
(J)一般女子・中高生女子
◇3.3km
(K)小学4~6年生男子
(L)小学4~6年生女子
(M)親子ペア

<ウォーキング>
◇虚空蔵山まで6.0km
(W)団体歩行

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