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2016年8月の4件の記事

夏ひと区切り、秋祭り花火シーズンへ

16081901 昨夜、高森町の天竜川で市田灯籠流し大煙火大会が行われました。16日には飯田市の天竜川で飯田時又灯籠流し花火大会もありました。盆が過ぎ、この2つの灯籠流し花火大会が終わると、飯田の夏はひと区切り。まだまだ秋の彼岸まで残暑厳しい日は続きますが、風の中に秋の気配が感じられるようになり、一歩ずつ秋が進み始めます。右の写真は市田灯籠流し大煙火大会です。

 飯田周辺地域は花火が大好き。7月から10月にかけて、各地のイベントで、また神社の夏祭りや秋祭りで、どこでも花火がメインの出し物になります。伝統芸能の村歌舞伎や人形浄瑠璃もかつてそうでしたが、それぞれ自前のものを持って自分たちでやるのがこの地域の1つの特徴です。
 7月から8月上旬までは各地で祇園祭り、地域の夏祭り、神社の夏祭りが続きます。8月の盆(13~15日)には連日、小さな村の夏祭り、花火イベントが続きます。それは盆に帰省する村出身者が多いからです。同じ理由で、この地域の14市町村のうち半数の7町村は盆に成人式を実施しています。
 これらの花火イベントも、時又と市田の灯籠流しが1つの区切り目。8月20日から各地の神社の秋祭りシーズンに入ります。

 神社の秋祭りでは、打ち上げ花火のほかに大三国花火が大きな呼び物になります。これは三河から伊那谷にかけて多く見られる花火で、筒の先から激しい火花が噴き出し、あたり一面に舞い散ります。この火花の下に神輿をかついで飛び込み、勇壮にきおうのが祭りのクライマックスになります。
 これに加えて七久里神社(飯田市山本)では、締め込み姿の屈強の男たちが頭上に高々と桶を振り上げて回してみせる「桶振り」が行われます。このため裸祭りとも呼ばれます。

 また清内路村の2つの諏訪神社では、有名な手作り花火(県無形民俗文化財)が奉納されます。激しく火花をまき散らしながら回転する尺車(しゃぐま)をはじめ、ユニークな仕掛け花火が次々に登場します。地元の記録によると、江戸時代、特産物の煙草の行商に出た村人が三河で煙草と引き替えに火薬の製造法を習ってきたのが原点とされています。享保16(1731)年に神社に奉納した記録があり、以後300年近く、飢饉の年も戦中戦後も途絶えることなく続いてきました。この地域では他の村でも住民が花火を手作りした記録がありますが、今でも続いているのは清内路だけで、地区の誇りになっています。なお火薬の扱いには一定の危険があり、過去には事故が起きたこともあって、上清内路では一般の人は境内に入れないことになっています。こちらが清内路ホームページの手作り花火紹介です。

 今年の秋祭り花火イベントの日程は次のとおりです。
8月20日(土)――矢高諏訪神社(飯田市鼎)打ち上げ花火
8月27日(土)――大宮諏訪神社(飯田市宮の上)打ち上げ花火、大三国
8月27日(土)――和田諏訪神社(飯田市南信濃)打ち上げ花火
9月3日(土)―――愛宕稲荷神社(飯田市愛宕町)打ち上げ花火、大三国
9月10日(土)――今宮郊戸八幡宮(飯田市今宮町)打ち上げ花火、大三国
9月10日(土)――鳩ケ峰八幡宮(飯田市松尾)打ち上げ花火、大三国
9月17日(土)――長姫神社(飯田市追手町)打ち上げ花火、大三国
9月18日(日)――瑞光院行人様御開帳(阿南町新野)打ち上げ花火
10月1日(土)――七久里神社(飯田市山本)仕掛け花火、大三国、桶振り
10月 日( )――熊野神社(飯田市大瀬木)仕掛け花火、大三国
10月6日(木)――上清内路諏訪神社(阿智村清内路)手作り花火(※一般入場制限)
10月7日(金)――伊豆木八幡宮(飯田市三穂)大三国
10月9日(日)――満島神社(天龍村)打ち上げ花火
10月15日(土)―下清内路諏訪神社(阿智村清内路)手作り花火

満蒙開拓平和記念館

 阿智村(飯田市の西隣)に満蒙開拓平和記念館という民間運営の施設があります。満蒙開拓に特化した資料館は全国唯一だそうで、2013年4月にオープンして以来、当初計画を大きく上回る多くの来館者を迎えています。県外から訪れる方も多く、ここと岐阜県八百津町の杉原千畝記念館をあわせて回る方もあるようです(車なら中央道経由で移動可能です)。

 戦前・戦中の満州移民(開拓団、青少年義勇軍ほか)は全国で27万人とされ、長野県は全国で最も多い約3万4千人を送り出し、2番目の山形県の約1万7千人を大きく上回っています。その中でも長野県南部の下伊那地域は8354人を送っており、全国で最も多く満州移民を送り出した地域と言えます。当時の人口に占める割合は約4.5%で、22人に1人が満州に渡りました。このうち終戦後に帰国できたのは約半分の4197人で、残り4157人が未帰還者(死亡者3829人、ほか残留・不明)となりました。

 満蒙開拓平和記念館は、史実を正しく後世に伝えるため、関係資料を記録・保存・展示・研究しています。こちらが満蒙開拓平和記念館ホームページです。
 展示内容は、まずイメージ再現された当時の開拓団の住居、青少年義勇軍の資料などが並ぶ通路を通り、最初の部屋で開拓団の概略を知る映像を観ます。そこからは時系列に沿って、開拓団のたどった道を追います。まず次の部屋で開拓団・義勇軍の送出や現地の生活の様子を展示。次の部屋は敗戦による逃避行で、体験者がつづった証言などが数多く展示され、直接読めるようになっています。次の部屋は日本への引揚げと帰国してからの再出発です。
 次の部屋には、「中国残留孤児の父」と言われた山本慈昭氏についての資料があります。山本氏は学校教師として阿智村から満州に渡り、敗戦後、収容所で妻子と離されてシベリヤ抑留され2年後に帰国。1969(昭和44)年になって、娘が中国人に育てられて生きている可能性があることを知り、中国に残った多くの日本人残留孤児の肉親を探す活動を始めました。日中国交回復前の活動は国の協力が得られず困難を極めましたが、やがてこの活動が結実して多くの残留孤児が肉親と再会したり日本への帰国を果たしました。
 最後の部屋にはメッセージボードがあり、平和な未来に向けた来館者の感想が展示されています。

 記念館は展示だけでなく、満蒙開拓語り継ぎ活動の拠点、帰国者の交流の場などとしても施設を活用。語り部の講演(月2回)、子ども学習会、国際シンポジウム、語り継ぎ活動のボランティア養成講座、慰霊祭など多くの活動を行い、多くの満蒙開拓移民を送り出した地域の「負の歴史」から、アジア・世界に向けた「平和・共生・友好の未来」創造への発信拠点となることを目指しています。

 上記のように「全国で27万人」と数字で書けばひとまとめになってしまいますが、開拓団員や子どもたち一人ひとりにかけがえのない尊い人生・ドラマがあります。そして来館者一人ひとりからもさまざまな情報や感想が寄せられます。そうした物語の一つ一つをすくい上げているのが、事務局長の三沢亜紀さんのブログ「プラットホーム」。こちらもぜひご覧ください。

 入館料は一般500円(団体20人以上は1人400円)、小中高生300円(同200円)。休館日は毎週火曜日(祝祭日の場合はその翌日)、第2・4水曜日、年末年始など(具体的な休館日は満蒙開拓平和記念館ホームページに掲載されています)。開館時間は午前9時半~午後4時半(入館は午後4時まで)。団体予約の場合は相談に応じることもあります。
 毎月第2・4土曜日の午後2時~3時半、館内で語り部の講演があります(1~3月は休み)。

 記念館は阿智村中心部から下條村方面に進む方向にあり、場所が分かりにくいと思います。ホームページには「周辺に看板も設置していますが、建物自体は駐車場に入るまで遠くから見えません。迷ったかもと思ったら、まずお電話ください」と書いてあります。電話番号は0265-43-5580。
 昼神温泉―「こまんば」バス停―記念館を結ぶ阿智村巡回バスもあります(昼便と夕方便の2往復)。

飯田市のシンボル風越山

 きのう8月11日は初の「山の日」。新たな国民の祝日となって1年目で、北アルプスの玄関口として知られる上高地(松本市)では、皇太子さまご一家をお迎えして第1回「山の日」記念全国大会の記念式典が開かれました。ご一家は式典の後、上高地の散策を楽しまれたということで、緑あふれる山の空気や澄んだ水でリフレッシュしていただけたのではないかと思います。

 さて、「山の日」にあわせて信州の本格的な山岳を紹介したかったところですが、その前に今回は飯田市の風越山(標高1535m)を紹介します。飯田市の中心市街地の背後にそびえる姿のよい山で、かなり広い範囲からよく見え、飯田市のシンボルとなっています。誰でも気軽に登れる山で、前山の虚空蔵山ともども地元住民に親しまれています。また田中澄江著「新・花の百名山」(文藝春秋社)、清水栄一著「信州百名山」(桐原書店)などにも選ばれ、遠方から訪れる山好きの方もあるようです。

16081101 「風越山」は「かざこしやま」と読みます。
 私が子どもの頃は「ふうえつざん」あるいは「権現山(ごんげんやま)」と呼ぶことが一般的だった気がします。ふもとにある飯田風越高校は飯田「ふうえつ」高校と読み、地元で単に「ふうえつ」と言えばこの高校のことを指します。その他、名称の中に「風越」が入っている公園や郵便局、施設、企業などが周辺にいくつもありますが、大概「ふうえつ」と読みます。これが原因で、風越山も「ふうえつざん」と呼ばれるようになったと言われています。
 飯田市内の小中高校の校歌には、よく歌詞に「風越(山)」が出てきます。読み方はいずれも「かざこし」です。したがって本来の読み方は「かざこしやま」だったと考えられます。長野県内の山を紹介するガイドブックなどでは、今でも「ふうえつざん」とルビを振っている事例が見られますが、これは適切ではありません。
 現在、改めて「かざこしやま」という読み方が普及し一般化したのは、1987年に発足した「風越山(かざこしやま)を愛する会」の活動によるところが大きいと言えるでしょう。この会は「風越山イラストマップ」の発行をきっかけとして発足し、風越山の自然と文化財を守る活動を続けています。元旦登山をはじめ四季折々の登山、動植物観察会、登山道整備・案内板設置などを行っています。私も20数年前に登山会に参加したことがあります。こちらが「風越山を愛する会」のホームページです。
 ただし、歴史的には「ふうえつざん」と読むことが正しかったと思われる事例もあります。それは室町時代末期に山麓にあったとされる「風越山白山教寺」で、寺院の山号なので「かざこしさん」ではなく「ふうえつざん」だろうと思います。

 「風越山」あるいは「風越」という地名は長野県内に他にもあり、全国各地に多数あると思います。文字通り、風が越える山という意味でしょう。
 風越山は中央アルプス(木曽山脈)南部の主稜から分かれた尾根の先端で(断層で切り落とされている)、その南に飯田西部山麓の山々が連なっています。これらの峰を越えて、山の向こう側から飯田側に風が吹き下ろします。
 この峰を越える風の動きが目に見えることがあります。たとえば中秋から晩秋にかけて、山の向こう側から吹き上げる上昇気流によって山頂付近で雲ができ、その雲が山のこちら側で吹き下りる風にのって山肌を流れ下り、中腹あたりですうっと消えていきます。昔の人も、こうした風の動きを見て、「風越」という地名を付けたのでしょう。

 風越山はもともとは白山信仰(山岳修験道の1つ)の修行場でした。白山権現がまつられていることから、最初に書いたように「権現山」とも呼ばれてきました。
 地元に伝わる「白山寺歴代記」によると、風越山は奈良時代の718年、泰澄大師によって開かれたとされています。泰澄大師は717年に白山を開山した修験者で、各地に数々の伝説を残しています。風越山の開山もこうした伝説の1つと考えられ、必ずしも史実とは言えませんが、平安~鎌倉時代までに風越山が修験道の修行場になっていたことは十分に考えられます。
 山頂の手前に、室町時代末期の1509年に建てられた白山社奥宮(国重要文化財)があります。また麓に白山社里宮がありますが、この里宮は江戸時代までは天台宗の白山寺という大きな寺院でした。修験道は日本古来の山岳信仰に密教的仏教、道教などが結びついたもので、もともと神仏習合です。
 白山社の祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)の三柱で、加賀の白山神社の祭神、日本神話の国造りの祭神、出雲大社の祭神を一緒にまつっています。
 白山寺は江戸時代に最も隆盛し、山麓から山頂周辺まで多くの建物や石造物がつくられました。明治初期の神仏分離によって白山寺が白山社里宮になり、仏教的な建物の多くが失われましたが、石造物は今でも残っています。奥宮の近くには役小角像、名号石(南無阿彌陀佛と彫られた巨石)、弘法大師磨崖像などがあります。
 風越山は自然豊かで、山頂はブナの自然林、登山道沿いの斜面にはベニマンサク群生地(県天然記念物)があります。四季折々の花、野鳥や動物、チョウやトンボなど多種多様な生き物が観察できます。

 登山道は、白山社里宮から登る表参道のほか数ルートあります。ふもとと山頂の間の所要時間は登り3時間、下り2時間といったところ。誰でも登れる山とはいえ、奥宮の手前には行者越えと呼ばれる昔の難所があり、奥宮と山頂の間には鎖をたよりに上り下りする断崖もあります。市街地との標高差が約1000mもあるのはダテではなく、かなり傾斜の急な場所もあるので、きちんとした足ごしらえが必要です。また雨が降ればたちまち登山道が川に変わるので、天候にも注意が必要です。
 登山コースや安全上の注意については、こちらの「信州山歩き地図」ホームページも参考に。作者の中嶋豊さんは長年、長野県警察山岳遭難救助隊員として活躍し、第9代隊長を務めた人。イラストが特技で、自ら登って確かめた山の様子を分かりやすくマップにまとめて公開しています。

  ☆   ☆   ☆

 風越山が飯田市周辺のかなり広い範囲から見えることを利用して、毎年「6月1日に風越山を撮ろう」というイベントが行われています。2002年から始まり、今年で15回目になりました。
 風越山はどこから見るのが最も美しいか―。その答えは人それぞれ。みんな自分の見慣れた風越山が一番いいと思っています。そんな風越山の姿を写真に撮って一堂に集めて並べてみよう、という発想で始まったのが、このイベントです。毎回200点近くの作品が集まります。
 なぜか「6月1日午前11時11分」にシャッターを切る決まり(?)になっています。

  ☆   ☆   ☆

 2016年10日10日の「体育の日」に、第62回風越登山マラソン大会が開催されます。登山マラソンのほか、虚空蔵山まで歩いて登るウォーキング、小学4~6年生も参加できる「みんなで走ろう」が同時に行われます。9月9日まで参加申込を受け付けています。こちらが飯田市ホームページ内の開催情報です。
 スタート・ゴールはふもとの今宮野球場(標高540m)で、最長の白山社奥宮(標高1490m)までのコースは12.4km、標高差950mになります。中学生が参加できる虚空蔵山までのコース(8.7km、標高差590m)や、登山道の途中の石灯籠までのコース(4.9km、標高差250m)もあります。
 始まったのは大正時代という伝統ある登山マラソン。地域内外から多くの長距離ランナー、健脚自慢が参加します。私も中学1年生の時に虚空蔵山までのコースに参加したことがあります。子どもの頃から何度も登っている山でコースの様子は知っており、多少の自信はありましたが、まだ1年生で、順位は気にせずにマイペースで登ったところ、頂上の折り返し地点で10何番。意外にいい順位だったので欲を出して調子に乗って下り始めたところ、途中で横腹が痛くなって走れなくなり…ゴールした時は全体の真ん中くらいでした。
 景色を楽しむ余裕はありませんが、風越山そのものを全身で感じるにはいい機会。昔の修験者はこんな修行をしていたのかもと、想像しながら走るのもいいでしょう。

 種目は次のとおりです。
<登山マラソン>
◇白山社コース12.4km
(A)一般男女・高校生男子
◇虚空蔵山コース8.7km
(B)一般男子・中高校生男子
(C)50歳以上男子
(D)一般女子・中高生女子
◇石灯籠コース4.9km
(E)一般男子・高校生男子
(F)中学生男子
(G)一般女子・中高生女子

<みんなで走ろう>
◇3.8km
(H)一般男子・高校生男子
(I)中学生男子
(J)一般女子・中高生女子
◇3.3km
(K)小学4~6年生男子
(L)小学4~6年生女子
(M)親子ペア

<ウォーキング>
◇虚空蔵山まで6.0km
(W)団体歩行

飯田で生きている、あの「三国志」の人形たち

 テレビ放送で大人気を博し、30年余を経た今も根強いファンがいるNHK人形劇「三国志」(放送期間1982~84年)。この番組の制作に使用された川本喜八郎氏(1925年1月11日~2010年8月23日、アニメーション作家・人形美術家)の人形は今、飯田市川本喜八郎人形美術館にあります。NHK人形歴史スペクタクル「平家物語」(放送期間1993~95年)や、その他の人形アニメーションで使われた人形などもあります。
 こちらが川本喜八郎人形美術館ホームページです。また、こちらは川本喜八郎公式ウェブサイトで、「三国志」、「平家物語」、長編・短編アニメの作品と人形の紹介があります。

 川本氏が初めて「人形劇のまち」飯田を訪れたのは1990年の人形劇カーニバルで、日中合作人形劇「三国志」の招待公演でした。その2年後、飯田で川本氏の人形アニメーションの上映会が開かれた際、観客からの質問がいずれも人形の本質に迫るものだったことに驚き、またアンケートの中に「人形が生きている」という感想が多数あったことに感銘を受けたといいます。その後、飯田に江戸時代から300年にわたる人形浄瑠璃の伝統があることを知り、黒田人形や今田人形が今も続き、さらに人形劇カーニバル(現在の人形劇フェスタ)が毎年開催され、人形や人形劇に対する感性が今も連綿と育まれていることを実感して、飯田市に人形を寄贈することを決めたそうです。
 川本喜八郎人形美術館は2007年3月、飯田市の中心市街地にオープンし、川本氏が館長に就任しました。
 人形の寄贈が飯田市から正式に発表されたのは1995年6月で、それから川本氏の意向に沿った美術館がオープンするまで12年もかかったわけですが、その間に川本氏は何回も飯田を訪れています。1998年4月には、「木を植えた男」で知られるカナダのアニメーション作家フレデリック・バック氏夫妻を伴って来飯し、3日間にわたって飯田市周辺を案内しています。「日本の農村風景を見たい」というフレデリック氏の希望に応えたもので、その頃にはかなり飯田に親しみ、飯田の事情にも通じていた様子がしのばれます。

 美術館オープンにあたり、川本氏は「飯田には『人形が生きている』と感じる血がある」、「私の人形が行きたいと思える場所は飯田のほかにない。人形が『行きたい』と決めた」という言葉を残しています。また川本氏は「この美術館の真の使命は人を育てること」と述べ、その考えに沿って美術館では展示や人形アニメ上映だけでなく、ワークショップ、三国志こども写生大会などが行われています。
 こうした川本氏の思いは、川本喜八郎人形美術館ホームページの「美術館について」コーナーに「寄贈メッセージ」として掲載されています。この文章は1994年12月、人形の寄贈を決意した川本氏が飯田市に送ったものです。

16080201 川本氏は人形を作ることを「彼等が生まれてくるのをお手伝いする」、「人形が私の手を借りて生まれてくる」と表現していました。また「人形は人間の代わりではない」という言葉も残しています。人形やアニメには、人間の俳優が演じるのとは違う演技・表現があり、そこに人形の生命が宿ると考えていたのでしょう。「三国志」の人形は1人ひとり、他の誰でもなく、その人物として生まれてきました。
 右の写真は美術館パンフレットで、表紙の人形は代表作の1つといえる諸葛亮孔明。川本氏は人形劇「三国志」のために約200体の人形を作りましたが、中でも孔明には特別の思い入れがあったようで、「孔明のカシラはなかなか生まれてくれなくて、出来上がってみると、『私は違うよ』とのたまい、4度作り直して、くたくたに疲れ果てた夜中に、やっと『私が孔明だ』と名乗りをあげてくれた」と回想しています。

 今年は美術館オープンからちょうど10年目。毎年2回ほど展示替えがあり、6月初めに19回目の展示替えが行われました。
 現在の展示テーマは三国志「後漢末―三顧の礼」。まず呂布と貂蝉、黄巾党の張3兄弟、漢朝の弘農王、陳留王と将軍たち。「三顧の礼」では劉備、関羽、張飛、孔明はじめ劉備配下の趙雲、馬超、黄忠といった豪傑たち。そして曹操、董卓、陶謙、馬騰、袁紹、袁術、劉表といった群雄に、呉の孫堅、孫策、孫権と甘寧、太史慈、程普など。約60体が並び、「三国志」の名場面の数々を思い起こさせます。
 いいだ人形劇フェスタの期間中(8月2~7日)は館内で人形劇の公演やシンポジウムも行われます。

 川本喜八郎人形美術館の開館時間は午前9時30分~午後6時30分(入館は午後6時まで)。休館日は毎週水曜日(祝日開館)と年末年始。入館料は大人400円(20人以上の団体は1人300円)、小中高生200円(同150円)。

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