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飯田周辺の御柱祭(中)

 飯田周辺のおもな御柱祭の日程と特徴を紹介します。今回は歴史や内容、規模などをもとに私が独断で選んだ特薦5社です(里曳き・建御柱の日付順)。建御柱の時間は前後する可能性もあるので、一応の目安と考えてください。

<知久平諏訪神社> 飯田市下久堅知久平宮の平
 山出し――――――3月13日(日)
 里曳き・建御柱――3月26日(土)午前9時から里曳き、午後3時から建御柱
 正大祭――――――3月27日(日)
 知久平諏訪神社は鎌倉時代、諏訪氏分流の知久氏が伴野庄を領有してまもなく、諏訪上社から勧請したとされています。知久氏は知久平城、のち神之峰城(飯田市上久堅)に本拠を置き、天文23(1554)年の武田侵攻の際には最後まで抵抗しました(生き残りが徳川氏の庇護を受けて後にカムバックします)。
 御柱祭は史料に残っているものとしては江戸時代末期の天保元(1830)年からで、今回で32回目になります。鎌倉時代からという伝承もあり、諏訪上社とのつながりを考えると、今のような御柱祭だったかどうかは別にして、その頃から何らかの祭事があってもおかしくありません。
 御柱はモミ2本で、今回は虎岩区の個人から寄進されました(虎岩区から御柱を出すのは初めてだそうです)。今回の御柱は直径50cm強で、伐採後に諏訪大社の四之御柱と同じ長さ4丈(約12.2m)にします。知久平には用材確保のために昭和3(1928)年に地元の午未同年衆8人が寄進したという御柱山もあり、個人からの寄進がない時はこの山から御柱を出します。
 知久平諏訪神社の御柱祭は諏訪大社上社から薙鎌と御符を拝戴します。特に注目されるのは薙鎌の扱いです。まず「本見立ての儀」で、一之柱に決まった木に、諏訪大社と同じように薙鎌を打ち込みます。これは見立ての後でいったん外しますが、建御柱の際、一之柱の根元に打ち込んで地中に埋めます。
 3月13日の山出しは、二之柱は事前に伐採して仮安置場まで出してありますが、一之柱は当日伐採して山から曳き出します。2本とも安置所まで運びます。
 3月26日の里曳きでは知久平区内を曳きまわします。神社入り口で木落としがあり、水を張った田に御柱を落としますが、この時に互いに落としあったり引っ張り込んだりして大勢が田に入り、30分ほど泥合戦を繰り広げるそうです。
 正大祭では各地区から御輿を繰り出して盛大にきおいます。
 下久堅地区まちづくり委員会が運営している「しもひさかた」ホームページの「お知らせ」コーナーで、「御柱特集」として今回の進行状況を連載しています。御柱祭祭典委員会の広報班の方がまとめているもので、昨年6月の道作りと「本見立ての儀」から始まり、小学生への教室、てこ棒作りと使い方の講習、御輿作り、灯籠・行灯作り、薙鎌拝戴、縄打ちなどの準備の様子がよく分かります。縄打ちはワラを木槌で叩いてやわらかくするところからやっています。写真が多く、御柱祭に向けた地元の雰囲気がよく分かるので、ぜひ見てください。

<御射山神社> 松川町上片桐城
 山出し――――――3月20日(日)
 宵祭・大煙火―――4月1日(金)
 里曳き・建御柱――4月2日(土)午前9時半から里曳き、午後2時から建御柱
 御射山神社は松川町と中川村にかかる船山城跡(県史跡)の中にあります。船山城は中世の片桐氏の居城で、飯田周辺に多い段丘先端の崖を利用した平山城の1つです。戦国時代に武田氏が修築したと見られ、天正10(1582)年の織田侵攻により廃城になりました。御射山神社は、片桐氏が建暦元(1211)年に大巳貴命を勧請し、後に建御名方命(諏訪神)、事代主命を勧請したとされています。大巳貴命は大国主命のことで、建御名方命と事代主命はその子ども。つまり、いずれも出雲系です。
 江戸時代中期の享保7(1722)年に社殿を修築して祭典を行い、諏訪上社下社にならって御柱祭を行うようになったということで、今回でちょうど50回目(足かけ295年)になります。御柱の本数をはじめ、御柱祭のやり方も諏訪にならっている部分が多いようです。
 旧片桐郷7か村にあたる松川町上片桐(片桐町、上片桐)、中川村片桐(田島、前沢、小平)、飯島町七久保、中川村葛島の4地区合同で行い、各地区から1本ずつ御柱を寄進します。
 まず3月20日に各地区で山出しを行い、御柱を里曳き出発点の旧片桐町(片桐宿)に向かって曳きます。
 地元の上片桐では、本当に西部山麓の山中から大勢で綱を引いて、集落上部の片桐神社まで数時間がかりで曳き出します。御柱は事前に伐採し、皮を剥いて綱をつける穴を開けてあります。みんな竹筒のぐい飲みを腰に下げていて、お神酒の力を借りながら勢いにまかせて曳きます。途中の谷間では木落としもあり、なかなかの見ものです。山出しの面白さは里曳きより勝るでしょう。
 毎回この上片桐の御柱が一之柱に決まっていて、直径1m前後あり、諏訪大社の御柱にも引けを取りません(今回は諏訪大社4宮の一之御柱が4本とも太くて負けていますが)。長さは毎回2寸ずつ長くして今回で5間5尺8寸(約10.9m)というので、4間2尺(約7.9m)から始まって1間3尺8寸(約3m)長くなっている計算になります(次回でぴったり6間になります)。それでもまだ太さの割には短く、ずんぐりしていて、諏訪大社の一之御柱の5丈5尺(約16.7m)に追いつくのは96回先(576年後)になります。
 一方、他の3地区では集落内を曳行し、山出しというより、この日が「地元の御柱祭」になります。今回、七久保では午前中に千人塚公園から大宮七窪神社まで下ろし、午後から集落内を南下して高遠原まで曳きます。片桐は横前から小平地区内、葛島は葛北地区内で曳行するそうです(実は私も、この3地区のやり方は今回あらためて調べて初めて知りました。上伊那の情報は飯田にはあまり入ってこないので…)。各地区の御柱は前年11月の見立祭で太さを測って順番を決め、今回は葛島が二之柱、片桐が三之柱、七久保が四之柱に決まりました。
 山出しの後、4本の御柱は里曳き出発点まで運ばれます。
 曳き綱は毎回4本とも里曳き出発点の旧片桐町が作ります(今回は2月27日に行いました)。4本の御柱がすべて通るというご利益があるので、そのくらいしなければいけません。綱は太さ15cm、長さ30mほどもあります。御射山神社の曳き綱は、ワラで作った大きな「蛇頭(じゃがしら)」がつくのが特徴で、昭和55(1980)年からつけるようになり(経緯や由来は不明)、ここと近くの諏訪形神社の2社の御柱祭でしか見られないという珍しいものです。
 4月2日の里曳きは一之柱から順番に出発し、東へ2kmほど下って御射山神社の境内に曳き入れます。途中、JR飯田線の上片桐駅北踏切を越えたあたりで昼休みになります。建御柱では、諏訪と違って4本とも社殿の前に建てます。
 御射山神社も諏訪大社上社から薙鎌と御符を拝戴します。里曳きの日には神輿巡行を行い、最後は神輿が先に神社の境内に入り、それに続いて御柱が境内に入ります。獅子舞、長持行列、おかめ踊り、きつね踊り、義士踊りなど多彩な余興があります。
 写真は4枚とも平成4(1992)年のもの。左上は上片桐の一之柱の山出しで、この時は御柱が窪みにはまって引っ張り出すのに苦労していました。右上は建御柱。左下は神輿が鳥居をくぐって境内に入ったところで、これに続いて御柱が入ってきます。右下は神社わきの濠に浮かべた「明神丸」の上で踊りを披露する子どもたち。ちょうど境内の桜も満開の時期で、御射山神社の御柱祭はどこを撮っても絵になります。
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<七久里神社> 飯田市山本
 里曳き・建御柱――4月3日(日)午前9時から里曳き、午後1時半から建御柱、3時半から餅投げ
 七久里神社は八幡社(主祭神が八幡神)で、建御名方命(諏訪神)が合祀されています。最近、秋季祭典の裸祭りが有名になり、今年テレビのダイドードリンコスペシャル「日本の祭り」で取り上げられる予定になっています。御柱祭は江戸時代後期に始まったとされ、竜東(下久堅、上久堅、千代)から天竜川をまたいで伝わったようです。
 御柱はモミ2本で、昨年12月、山本地区の南北の山林で1本ずつ伐採しました。直径75cmの大木で、長さは諏訪大社の一之御柱と同じ5丈5尺(約16.7m)です。現在は北の御柱、南の御柱と呼びますが、郷土誌『伊那』2004年1月号によると平成10(1998)年の時点では一の柱(男木)と二の柱(女木)で、二の柱を少し短くしていました。この年は里曳き当日の朝から山出しを行ったところ、一の柱が太過ぎて時間がかかり、里曳きで先に神社に着いた二の柱が待ちきれず、お神酒の勢いもあって先に神社に入ってしまいました。また以前は建てるのも人力でしたが、この年からクレーンを使うようになりました。
 4月3日の里曳きは北の御柱、南の御柱それぞれ午前中いっぱい山本区内を曳行します。田に落として引き上げたり、お神酒も手伝って大騒ぎになるそうです。里曳きでは公式に子どもや地区外の一般の参加を受け入れているので、曳いてみたい方はぜひどうぞ。
 平成20(2008)年に新設された中央道の飯田山本インターから神社まで車で3分くらいです。

16030702<飯沼諏訪神社> 飯田市上郷飯沼
 宵祭―――――――4月9日(土)
 里曳き・建御柱――4月10日(日)
  午前8時から里曳き
  11時半から二之御柱の建御柱
  午後2時から一之御柱の建御柱
  3時半から餅投げ
 飯沼諏訪神社の境内はかつて飯沼城の主郭だった場所で、段丘の先端にあります。境内直下をJR飯田線の上郷トンネル(飯田駅以北で唯一のトンネル)が通っています。現在は東側の段丘崖に石段が設けられ、こちらが神社の表の入り口になっています。私も高校時代に体育の授業でこの石段を駆け上がりましたが、今ではとても無理です。
 上記の知久氏が飯沼を領有した時代があり、諏訪社とのつながりを持ったことが考えられます。御柱祭は江戸時代に始まったとされ、諏訪大社上社から薙鎌と御符を拝戴します。
 御柱はモミ2本で、直径75cm、長さ18.5m。長さは諏訪大社の一之御柱を上回り、もしかすると日本一かもしれません。一昨年11月に野底山財産区有林で本見立祭を行い、昨年11月に本伐祭を行って伐採し、同月中に山出しを行って里曳き出発点まで運びました。
 4月10日の里曳きは約1kmのほぼ直線のルートを曳行して石段の入り口付近に曳き付けます。コースは前回まで3通りありましたが、今回から一本化して「御柱街道」と名付けました。
 飯沼諏訪神社の御柱祭の見所は何と言っても落差60m以上、309段の石段に沿って御柱を曳き上げる場面。この石段を曳き上げるのは大変なので、午前中に二之御柱、午後から一之御柱と2回に分け、全員で力を合わせて曳き上げます。右上の写真は石段を埋め尽くす曳き手たち。右下は御柱が曳き上げられる様子ですが、御柱が石段のわきを通っていることが分かると思います。ここに普段は雨水が流れる溝があるのですが、御柱祭のために、この溝が御柱の形と大きさに合わせた円弧状につくられています。
 石段の周囲は山桜が多く、ちょうど御柱祭の頃に満開になります。里曳きには獅子舞も出て御柱を先導します。
 上郷飯沼はリニア中央新幹線の長野県駅ができる場所です。品川―名古屋間が予定通り11年後の平成39(2027)年に開業すれば、次々回の御柱祭は駅から降りてすぐに見られることになります。

<野池神社> 飯田市千代野池
 小場出し―――――4月3日(日)
 里曳き・建御柱――4月10日(日)午前8時から里曳き、午後3時から建御柱・餅投げ
 江戸時代末期の天保15(1844)年に書かれた『二ノ宮野池大明神由緒書』に「寅、申七ヶ年毎に四月御柱之祭礼仕候」とあるので、その頃にはすでに御柱祭が定着していたと考えられます。
 野池神社は飯田市千代の山間の野池山のふもとにあります。かつては南山郷36か村の総鎮守だったとされ、御柱祭には現在の上久堅南部から泰阜村北部までを含む広い範囲の氏子が参加していたようです。千代公民館が発行した『千代風土記』(1983年刊)によると、明治22(1889)年に千代村と千栄村が合併して新しい千代村になった頃からだんだん千代地区独自の祭りになり、第二次世界大戦後には野池と芋平の2集落で行った時期があったものの、その後、再び千代地区全体の祭りになったということです。野池と芋平は野池山を取り巻く山間の集落です。
 御柱は杉2本で、直径55cm、長さ15m。昨年11月に野池山で元木祭を行って伐採し、米川付近まで下ろして皮を剥きました。2本ですが、前回の御柱を残して前々回の御柱を更新するので、常に4本が建っていることになります。昭和初期までは社殿の両横に建てていましたが、周囲の樹木の根が張って穴が掘れなくなったため、社殿の前に建てるようになったということです。縄打ちの日に御柱移しと木休めを行い、前々回の御柱を倒してそこに前回の御柱を移します。新しい御柱は前回の御柱があった場所に建てます。
 4月3日の小場出しで1kmほど下の里曳き出発点まで曳き出します。まずは小手調べといったところです。
 4月10日の里曳きは米川に沿って集落内を曳行します。かつては途中から米川に落として川の中を曳きましたが、河川愛護のため平成16(2004)年からやめたということです。ずっと道路を曳くようになり、この年から女性や子どもも里曳きに参加できるようになりました。
 野池神社は小高い場所にあり、坂にかかる手前で昼休み。午後から「東坂の曳き上げ」と呼ばれる見せ場になります。2本の御柱は男木と女木(やや小ぶり)で、女木は男木より前に出てはいけないことになっていますが、坂を上って神社が見えたあたりで女木がぎりぎりまで前に出て男木と競り合います。男木と女木の曳き子が入り乱れて練り合うため、「けんか祭り」とも言われます。
 御柱がこの辺まで来ると、神社から御柱迎えの行列が出て、この行列が御柱を先導して神社に入ります。

 …次回、残りの御柱祭を紹介します。

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