« 飯田周辺の御柱祭(下) | トップページ | 飯田お練りまつり晴天に恵まれ »

昭和43年、昭和19年の御柱祭

 飯田周辺の御柱祭(上)で少し触れましたが、長野県教育委員会が昭和43(1968)年度の県内の御柱祭について調査したことがあり、その結果が『長野県民俗資料調査報告12諏訪信仰習俗』(1972年刊)にまとめられています。この報告書には、『特殊神事の研究・第4輯』(長野県神社協会1939年刊)からの引用という形で、昭和13(1938)年の御柱祭のことも書かれています。昭和13年のものは県内144件(うち飯田周辺7件)で、網羅的な調査ではありません。昭和43年は県内271件(うち飯田周辺27件)が記録されていますが、明らかに調査漏れがあります。それでも参考になるので、内容の一部を紹介します。

<昭和43(1968)年の御柱祭>
 諏訪地域以外は109件。当時の市郡別の内訳は次のとおりです。
・諏訪を除く南信39件(伊那市1、上伊那郡11、飯田市8、下伊那郡19)
・北信49件(長野市15、更埴市4、埴科郡3、上高井郡3、下高井郡3、上水内郡15、下水内郡6)
・東信12件(上田市1、小県郡9、佐久市1、南佐久郡1)
・中信9件(塩尻市2、東筑摩郡5、南安曇郡2)

 上伊那郡の11社はすべて辰野町で、塩尻市の2社も辰野町境の小野地区です。上伊那郡は他に中川村や長谷村でも行われていたはずで、伊那市も1社ではないと思いますが、記載されていません。
 南安曇郡の2件はいずれも神社ではなく道祖神です。
 あと松本市にも7社ありますが、寅年・申年でなく卯年・酉年なので、この調査の対象に入っていません。

 飯田周辺の27社は次のとおりで、現在のものとは出入りがあり、上伊那などに比べるとよく網羅されていると思いますが、なぜか飯沼諏訪神社(飯田市上郷)などが漏れています(信じられない…)。浅間神社(飯田市龍江尾科)とあるのも尾科諏訪神社の間違いだと思います。
 御射山神社(松川町上片桐)、諏訪形神社(同)、神護原神社(松川町元大島)
 市場神社(大鹿村鹿塩)、葦原神社(同)、大磧神社(大鹿村大河原)、野々宮神社(同)
 萩山神社(高森町下市田)、伊勢神社(高森町上市田)、牛牧神社(高森町牛牧)
 明神社(喬木村阿島)
 知久平諏訪神社(飯田市下久堅)、野池神社(飯田市千代)、小野子諏訪神社(飯田市上久堅)
 和田諏訪神社(飯田市南信濃)、程野諏訪神社(飯田市上村)
 浅間神社(飯田市龍江尾科)、諏訪明神社(飯田市川路8区、祭典のみ)
 七久里神社(飯田市山本)、竹佐伊奈神社(飯田市竹佐)
 河内諏訪神社(阿智村伍和)、市の沢諏訪神社(阿智村駒場)、智里諏訪神社(阿智村智里)
 根羽諏訪神社(根羽村)、月瀬諏訪神社(根羽村月瀬)、中野諏訪神社(根羽村)
 平谷諏訪神社(平谷村)

<昭和13(1938)年の御柱祭>
 『特殊神事の研究・第4輯』からの引用で、諏訪地域以外は87社。それぞれの内容も記載されているので、当時の市郡別に御柱の本数をまとめてみました。
・諏訪を除く南信16社:4本が6社、2本が5社、1本が1社、不明が3社、祭典のみが1社
  上伊那郡9社:4本が6社、不明が3社
  下伊那郡7社:2本が5社、1本が1社、祭典のみが1社
・北信56社:4本が7社、2本が32社、1本が12社、不明が5社
  長野市6社:4本が3社、2本が2社、不明が1社
  埴科郡12社:2本が10社、不明が2社
  下高井郡23社:4本が3社、2本が8社、1本が12社
  上水内郡15社:4本が1社、2本が12社、不明が2社
・東信10社:2本が1社、1本が9社
  小県郡7社:1本が7社
  南佐久郡3社:2本が1社、1本が2社
・中信5社:4本が5社
  東筑摩郡2社:4本が2社
  西筑摩郡2社:4本が2社
  北安曇郡1社:4本が1社
 諏訪地域以外の県内の合計は、4本が18社、2本が38社、1本が22社で、現在の飯田周辺の御柱祭と同様に2本が最も多く、次いで1本が多くなっています。網羅的な調査ではないので、統計的な分析に意味があるかどうか分かりませんが、地域的な傾向は読み取ることができ、上伊那や中信はだいたい4本、北信は2本が多く1本も少なくない、東信はほとんど1本といった感じです。

 飯田周辺の9社(当時は上伊那郡上片桐村だった2社を含む)の御柱祭の内容は次のように記載されています。
・七久里神社(山本村・現飯田市山本)
 見立3月1日、本木祭・縄綯祭3月15日、里曳・建立4月15日。御柱の長さは男木4丈1尺6寸(約12.6m)、女木4丈(約12.2m)。拝殿の前方右側面に並行2本を1か所に建つ。大略、郷社二宮野池神社に同じ、多少省略せられたる所あり。外に式年中に御柱剣の舞を行ふ。
・諏訪神社(上郷村飯沼・現飯田市上郷飯沼)
 見立4月1日、伐採4月4日、山出し4月14~15日、里曳は建立の2日前の早朝より。建立は4月中旬、寅年は寅の日、申年は申の日。御柱の長さは一定せず太さに応ず。今回は37尺(約11.2m)と33尺(約10m)。
・神護原神社(大島村・現松川町元大島)
 4月12日、見立・伐採・山出し・里曳・建立は1日にして終る。御柱の長さは25尺5寸(約7.8m)。
・諏訪社(和田村・現飯田市南信濃和田)
 次回の御柱を見立て、7年前見立てしを伐る。伐採・山出しは旧3月、里曳・建立は旧4月で、いずれも寅年は寅の日、申年は申の日。御柱は1本で長さ7間3尺(今と同じ)。寅年は神前左、申年は神前右に建立する。
・大宮神社(河野村・現豊丘村河野)
 式年祭ごとに社掌、氏子総代全員、諏訪大社に参り、薙鎌、神札を拝戴。これを神殿に納め中祭を行う。
・郷社諏訪社(下久堅村下久堅・現飯田市下久堅)
 見立は寄進につき自ら期日なし。伐採・山出しは御柱祭当日。里曳・建立は寅年は4月寅の日、申年は4月申の日。御柱は2本で長さ7間(約12.8m)。
・諏訪神社(上久堅村・現飯田市上久堅)
 見立は郷社諏訪社の如し。伐採・山出し4月1~7日の吉日、里曳・建立4月10日。御柱は2本で長さ6間半(約11.9m)。
・諏訪神社(上片桐村諏訪形・現松川町上片桐諏訪形)
 4月18日。御柱の長さは19尺3寸(約5.9m)。
・鶴部八幡宮(上片桐村鶴部・現松川町上片桐鶴部)
 4月19日。御柱の長さは18尺7寸(約5.7m)。

 この頃はまだ寅年は寅の日、申年は申の日という日取りを守っていた神社がいくつかありますが、全体に見立てから里曳き・建御柱までの日程は今より簡略で、3~4月に一気にやってしまう感じです。御柱の長さも今よりずいぶん短いところが多くなっています。
 私が最も注目したのは、七久里神社の「大略、郷社二宮野池神社に同じ、多少省略せられたる所あり」という記述で、この記述や2本の御柱を男木・女木と呼んでいた点などから、七久里神社の御柱祭は竜東から伝わったものと考えました。

« 飯田周辺の御柱祭(下) | トップページ | 飯田お練りまつり晴天に恵まれ »

観光おすすめ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/602624/63362801

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和43年、昭和19年の御柱祭:

« 飯田周辺の御柱祭(下) | トップページ | 飯田お練りまつり晴天に恵まれ »