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飯田周辺の御柱祭(下)

 前回の記事に続き、飯田周辺の御柱祭を紹介します。建御柱の時間は前後する可能性もあるので、一応の目安と考えてください。

≪大鹿歌舞伎で知られる大鹿村の4社≫

<市場神社> 大鹿村鹿塩塩河
 里曳き・建御柱――4月9日(土)午前8時から里曳き、午後1時から建御柱
 毎年10月第3日曜日に大鹿歌舞伎の秋の公演が行われる神社です。
 御柱は赤松1本。獅子舞も出ます。

<大磧神社> 大鹿村大河原下市場
 里曳き・建御柱――4月10日(日)午前8時から里曳き、午前中に建御柱
 毎年5月3日に大鹿歌舞伎の春の公演が行われる神社です。
 御柱は赤松2本。獅子舞、歌舞伎も出ます。

<葦原神社> 大鹿村鹿塩梨原
 里曳き・建御柱――4月17日(日)午前9時から里曳き、午前中に建御柱
 この神社は、明治41(1908)年に鹿塩地区の他の5社の祭神を合祀してから葦原神社と呼ばれるようになり、それ以前は「諏方本社(もとやしろ)大明神」という名称でした。これは神話の時代に建御名方命が諏訪に入る前に一時ここにいたという伝説に由来するもので、この話から、大鹿村観光協会が作成した今回の御柱祭のポスターにも「諏訪大社の元祖」と書かれています。この話は立ち入るとやっかいなので、また改めて書きます。
 御柱はモミ1本で、社殿の前に建てます。戸数の少ない地域で、里曳きは地元の人でなくても参加できるようです。
 この神社にも歌舞伎舞台があり、かつては毎年春と秋に公演がありましたが、現在は6年に1度、御柱祭の時にだけ奉納公演を行います。他にも屋台獅子、鳥追い、壁塗り、手踊りなど多彩な奉納余興が伝わっています。

<野々宮神社> 大鹿村大河原上蔵
 山出し――――――3月20日(日)
 里曳き・建御柱――4月24日(日)午前8時半から里曳き
 御柱はモミ1本。福徳寺から神社まで曳き上げます。観光客なども参加します。獅子舞や歌舞伎などもなく、素朴でのどかな御柱祭です。

16030703  大鹿村の御柱祭は、かつては各神社の春祭りの前日に建て、春祭り当日は盛んに余興を奉納して楽しみました。
 大鹿歌舞伎は、原田芳雄の遺作となった映画「大鹿村騒動記」(2011年公開)によって一段と広く知られるようになりました。
 大河原村名主前島家の日記に、江戸時代中期の明和4年(1767)年3月29日に「かしを狂言」が上演されたという記述があり、これが大鹿歌舞伎の最初の記録とされています。来年で250年になりますが、明和4年の時点で鹿塩狂言という呼び名が確立しているということは、もっと前から行われていたということでしょう。
 大鹿村では大正時代ころまで芝居のことを一般に狂言と呼び、特に鹿塩地区で早くから盛んに地狂言(地芝居)が行われたようです。その後、江戸時代後期から明治時代にかけて村内各地に舞台が建てられ、自分たちで地芝居をしたり、旅役者の興行を呼んだりするようになりました。
 明治時代までに村内に建てられた舞台は13か所もありましたが、取り壊したり集会所に改造したりで、現在残っているのは4か所。それが大磧神社、市場神社、葦原神社、野々宮神社で、いずれも6間×4間の規模で直径3間の回り舞台を持っています。御柱祭を行っている神社とぴったり一致しているのは、何かの偶然でしょうか。
 毎年5月3日に大河原の大磧神社で春の公演、10月第3日曜日に鹿塩の市場神社で秋の公演があり、他に葦原神社では現在は御柱祭の時だけ公演を行っています。
 写真は平成4(1992)年4月19日に葦原神社で行われた6年に1度の御柱祭公演。演目は「一谷嫩軍記・熊谷陣屋の段」。前日に御柱を建て、この日の午前中に本祭、午後から各種の演芸を行って最後に歌舞伎で、この時はもう夜になっていたと思います。

 大鹿村から秋葉街道を北上して分杭峠を越えた伊那市長谷(旧長谷村)にも、山間の3地区(市野瀬、杉島、浦)に御柱祭が伝わっています。いずれも御柱は1本で、大鹿村と同じ1つのグループと考えていいのではないかと思います。長谷から北上すると伊那市高遠(旧高遠町)で、さらに杖突街道を北上すると諏訪地域に出るのですが、中間の高遠では御柱祭の話は聞かないので、大鹿村や長谷の御柱祭がどのようにして始まったのか謎です。

≪霜月祭りで知られる遠山郷の2社≫

<和田諏訪神社> 飯田市南信濃和田
 山出し―――――――3月12日(土)
 里曳き・建御柱―――4月3日(日)午前10時から里曳き、午後3時から建御柱
 和田諏訪神社の御柱祭は明治17(1884)年から始まったとされ、それ以降の献木者のリストがあります(多くは写真も)。山持ちの住民が多いのですが(宿場町で火災が多いので、その備えと聞いたことがあります)、献木者は山出しや里曳きの際に大盤振舞する慣わしがあって大変なようで、リストには同じ家の名前がいくつも見えます。その代わり神輿や御柱が立ち寄るので、本当に神様を家に迎えることになります。また木遣り唄に名前を入れて「遠山谷の名門」と持ち上げてもらえます。…とは言え、献木者個人にこんな負担をかけるやり方は和田特有で、他に例を知りません。御柱祭は地域の結集の場であって、誰か個人をたたえる祭りではないので、もうやり方を変えたほうがいいと私は思います。
 御柱は樹種不定(杉が多い)1本で、直径40cmほど、長さ7間3尺ですが、郷土誌『伊那』2010年3月号によると5尺を1間としているというので、38尺(約11.6m)でしょうか。1本ですが、前々回のものを更新し、寅年は社殿に向かって右側、申年は左側に建てます。
 1月17日に斧入れ式を行って伐採。3月12日に山出しし、急斜面を曳き落とした後、道路を曳行して遠山中学校の駐車場に安置しました。皮を剥かないのは珍しいです。3月27日に室堀式・行列準備を行います。室掘式というのは御柱を建てる穴を掘ることです。私は「宝掘式」と空目して、何だろうと思っていましたが、よく見たら違いました(^-^;
 4月3日の里曳きでは、まず御神体を移した神輿が神社から出発し、献木者の家に御神体を上げて神事をします。それから神幸行列を整えて御柱安置所まで御柱を迎えに行き、いよいよ里曳きとなります。神幸行列は総勢80人を超えます。里曳きは和田のまちを約1.5km曳行し、途中で何回か休止して氏子の繁盛安全を祈願します。献木者の家では大盤振舞を受けます。
 和田諏訪神社の祭事(御射山祭り、霜月祭り、御柱祭)については、荒井学さんの書かれた「遠山谷の諏訪社」(2004年刊)という本が出ています。ウェブ版もあります。

<程野諏訪大明神> 飯田市上村程野
 里曳き・建御柱――4月30日(土)午前9時から里曳き、午後3時から建御柱
16032001 この神社は八幡社で、普段は程野正八幡宮と呼ばれます。諏訪神は元は境内の別の小祠にまつられていましたが、昭和26(1951)年に八幡宮のほうが火災で焼失し、それを再建した際に諏訪神も合祀したということです。社殿の中に霜月祭りの湯立て神楽で使うかまどがあります(霜月祭りの話は、祭りが近づい頃にまた書きます)。
 御柱はヒノキ1本で、近年はしらびそ高原あたりの山から出し、直径70cm近い大木が出ることがあります。長さ7間3尺(約13.7m)となっていますが、『遠山谷の民俗』(1977年刊)によると、それより短くても伐採した時に「この柱は7間3尺すっぱり」と宣言するのだそうです。また以前、献木した家で不幸が続いて献木する人がいなくなり、仕方なく木を買い上げて氏子中の名前で出したこともあるそうです。
 以前は山出し祭も行っていましたが、現在は前年のうちに集落近くの安置所まで下ろしてしまいます。写真は昨年10月24日に斧入れ・山出しをした御柱で、今回は直径50cmほどです。安置所は三遠南信自動車道の矢筈トンネル出口の近くです。かつて程野は遠山郷の最奥の地でしたが、平成6(1994)年にこのトンネルが開通して遠山郷の玄関口に変わりました。
 4月30日の里曳きは、集落を通る国道152号を片側通行にして御柱を曳行します。50戸ほどの集落ですが、御柱祭の時は出身者、親戚、程野ファン(?)など人口の数倍の人が集まるという話もあります。獅子舞が出たり、前回は昼休みに上太鼓の演奏やヨサコイソーランの演舞もあったそうです。
 和田ほど豪勢ではありませんが、ほとんど同じ木遣り唄があり、やり方も似通っているので、やはり遠山郷で同じ1つのグループでしょう。

 上村程野は遠山郷の北端、南信濃和田はほぼ南端にあります。南アルプスと伊那山地にはさまれた谷間、中央構造線が通る場所で、大鹿村のところで触れた秋葉街道の沿線です。
 秋葉街道A:高遠―長谷―(分杭峠)―大鹿村―(地蔵峠)―遠山郷(上村―南信濃)―(青崩峠)―静岡県
 秋葉街道B:飯田市中心部―下久堅―上久堅―(小川路峠)―遠山郷(上村―南信濃)―(青崩峠)―静岡県
 遠山郷から谷間に沿って北上する道と、伊那山地の小川路峠を越えて飯田市中心部に出る道と、両方を秋葉街道と呼びます。そこで、遠山郷の御柱祭はどちらのルートで伝わったのかが問題になります。大鹿村・長谷と同じグループなのか、飯田市の竜東地域(下久堅、上久堅、千代)と同じグループなのか、3つそれぞれ違うのか、あるいはこれら全部が1つのグループなのか、今後の研究・解明が待たれます。

≪根のついたヒノキを植樹する2社≫

<明神社> 喬木村阿島北
 阿島祭――――――4月2・3日(土・日)
 里曳き・建御柱――4月4日(月)午後1時から里曳き、3時から植栽
 毎回、阿島祭の翌日の月曜日に行います。根のついたヒノキ2本を木ぞりに乗せ、北と南から出発して神社に曳き上げ、境内に植栽します。

<下ノ宮諏訪神社> 飯田市松尾代田
 里曳き・建御柱――4月8日(金)午前10時から区内巡行、午後3時から植栽
 獅子舞巡行――――4月9・10日(土・日)
 毎回、春祭りの前日に行います。根のついたヒノキ1本で、松尾城址公園から出発して区内巡行した後、神社に植栽します。

 この2社のほか、郷土誌『伊那』2010年3月号によると、豊丘村の壬生沢諏訪神社もかつては根のついたヒノキの植栽を行っており、植える場所がなくなって中止したということです。

≪飯田市内のその他の御柱祭≫

<立石日枝神社> 飯田市三穂
 山出し・里曳き・建御柱――4月3日(日)午前8時から
 御柱は2本(樹種不定)で直径30cm、長さ6mほど。

<竹佐伊奈神社> 飯田市山本竹佐
 里曳き・建御柱――4月10日(日)午前8時から里曳き、午後3時から建御柱、4時から餅投げ
 昭和31(1956)年からで11回目。モミ2本で直径65cm、長さ13mほど。

<柏原明神社> 飯田市千代
 里曳き・建御柱――4月16日(土)午前9時半から里曳き、11時半~建御柱・餅投げ
 戦中戦後に一時中断したものの復活。山間の10戸ほどの集落で続けています。ヒノキ2本で、男木は直径20cm、長さ8m、女木はやや小ぶり。集落をひと回りし神社に曳き上げます。

<尾科諏訪神社> 飯田市龍江
 山出し――――――3月12日(土)
 里曳き・建御柱――4月17日(日)午前8時半から里曳き、午後1時から建御柱、2時過ぎ式典・祝宴、4時過ぎ餅投げ
 明治5(1872)年から始まり、戦時中は女性たちの力で継続したということです。現在は龍江4区全体で行います。赤松2本で直径15cm、長さ13mほど。神社手前でイタチヶ沢の川越えがあり、坂を上って神社に入ります。

<麻績神社> 飯田市座光寺
 里曳き・建御柱――4月24日(日)午前11時から里曳き
 八幡社と諏訪社の社殿が同じ大きさで並んで建てられています。明治8(1875)年から麻績神社と呼ばれるようになりましたが、諏訪社は江戸時代まで大宮大明神社と呼ばれ、古い時代には地域の中心的な存在だったものとも考えられます。
 ヒノキ4本で直径25cmほど。拝殿裏の4隅に建てます。

<小野子諏訪神社> 飯田市上久堅
 山出し――――――4月3日(日)
 里曳き・建御柱――4月30日(土)午前8時半から里曳き、午後3時から建御柱、4時から餅投げ
 大正9(1920)年から始まり、昭和31(1956)年を最後に中断しましたが、地域を盛り上げようという若手の熱意で昭和61(1986)年に復活しました。諏訪大社から薙鎌と御符を拝戴します。
 赤松2本で直径70cm、長さ15mの大木です。男木と女木で、2kmほど曳き、途中で2本を重ねたり、10mほど下の田に落として引き上げたりします。

≪北部のその他の御柱祭≫

<牛牧神社> 高森町牛牧
 里曳き・建御柱――3月6日(日)午前8時から里曳き、9時から建御柱
 牛牧神社は八幡社で、建御名方命が合祀されています。御柱祭は古くから行われ、諏訪大社から薙鎌と御符を拝戴しています。
 前回までは氏子総代など少人数で御柱を建てるだけでしたが、今回初めて地域イベントとして子どもたち主体に里曳きを行いました。今回の御柱はヒノキ2本で直径20cm、長さ7mほど。山側から1kmほど曳き下ろし、参道から約60段の石段を曳き上げました。
 『高森町史』によると、牛牧神社の御柱は昔は4本で、昭和40年代には2本になっていたようです。

<伊勢神社> 高森町上市田
 里曳き・建御柱――3月21日(月)雨天の場合は里曳きは中止
  午前8時20分から里曳き、10時15分から建御柱
  11時半から餅投げ、11時45分から記念祭&アトラクション
 伊勢神社の主祭神は天照大神で、大正2(1913)年に近くの荒神社にまつられていた諏訪神、八幡神などを合祀しました。御柱祭はこの合祀の前から荒神社で行われていたようです。ここも薙鎌と御符を拝戴します。御柱は赤松2本です。
 今回は「式年御柱記念祭・合祀100年記念祭」として初めて里曳きを行い、アトラクションで太鼓、バンド演奏、踊りなどを楽しみ、木遣りで締めます。

<萩山神社> 高森町下市田
 里曳き・建御柱――3月27日(日)午前9時15分から里曳き、午後2時から建御柱・餅投げ
 萩山神社は平安時代末期に松岡氏が建御名方命を勧請して創建したとされています。秋の御射山祭が現代まで伝わっています。
 御柱祭は春祭りの日に例年の獅子舞を休んで行います。ここも薙鎌と御符を拝戴します。
 御柱は赤松2本で、長さ3丈3尺3寸(約10m)。かつては巡礼沢の社有林から出しましたが、現在は大島川上流の下市田区山林から出します。
 3月27日の里曳きは南の巡礼沢、北の大丸山の2か所からスタート。出発してまもなく南コースは瀬落とし、北コースは木落としがあり、その後に両コースとも子どもが曳く区間を設けています。南コースは国道まで下って北上、北コースは国道を渡ってJR市田駅前を通ります。12時ころ参道入り口で合流し、神社まで曳き上げます。建御柱にあわせ浦安の舞を奉納します。

<鶴部八幡社> 松川町上片桐鶴部
 山出し――――――3月5日(土)
 里曳き・建御柱――3月27日(日)午前8時から里曳き、午後1時から建御柱・餅投げ
 御柱は4本(樹種不定)で直径40cm、長さ7mほど。社殿の4隅に建てます。
 里曳きでは4本をそれぞれ若手男性、中高年男性、女性、子どもが曳きます。50戸ほどの集落で、御柱祭には出身者や親戚なども集まります。

<神護原神社> 松川町元大島名子
 山出し――――――2月13日(土)
 宵祭・大煙火―――4月2日(土)
 里曳き・建御柱――4月3日(日)午前9時半から里曳き、午後2時から建御柱
 名子は松川町の中心部で人口が増加しています。かつては上片桐の片桐氏から分かれた名子氏・大島氏の領地で、御柱祭が始まった時期は不明ですが、近年、回を追うごとに盛んになっています。諏訪大社上社から薙鎌と御符を拝戴し、山出しの際、「伐採の儀」で一之柱に薙鎌を打ち込みます。
 御柱は赤松2本で直径70cm、長さ11mです。2月13日に西部山麓の町有林で伐採して山出しし、皮を剥いて里曳き出発点に安置しました。
 里曳きは2本とも同じ場所から出発し、東コース、西コースに分かれて3kmほど地区内を曳行し、神社近くで合流します。途中で田畑を通ったりします。沿道では住民が食べ物や飲み物を用意して接待します。獅子舞、子どものおかめ踊り、花踊りなどの余興もあり賑わいます。

<諏訪形神社> 松川町上片桐諏訪方
 山出し――――――3月6日(日)
 宵祭―――――――4月8日(金)
 里曳き・建御柱――4月9日(土)午前7時半から里曳き、12時から建御柱
 御柱は4本(樹種不定)で直径45cm、現在の長さは7.2mほどで、毎回2寸ずつ長くしています。66戸ほどで、里曳きは2本ずつ2回に分けて曳くようです。社殿の4隅に建てます。

<関宮神社> 松川町上片桐大沢北部
 里曳き・建御柱――4月10日(日)
 平成4(1992)年から始まり5回目。御射山神社の氏子に含まれる地域ですが、地元の神社で独自に行って楽しみます。
 御柱は赤松2本、直径60cm、長さ4mほどで、毎回2寸ずつ長くしています。里曳きの距離は500mほどです。

≪西部のその他の御柱祭≫

<月瀬神社> 根羽村月瀬
 山出し・里曳き・建御柱――3月20日(日)午前8時から
 御柱は朴1本で直径30cm、長さ6mほどで、少しずつ長くしています。根羽川の南と北で交互に出します。かつての里曳きは川に落として曳いたということです。前々回の御柱を更新します。

<河内諏訪神社> 阿智村伍和
 里曳き・建御柱――3月26日(土)午前8時から里曳き、10時から建御柱
 モミ2本で直径45cm、長さ15m。昨年8月に斧入れ式を行い、県有林で伐採して皮を剥き、山出ししました。阿智村の御柱祭は規模の小さいものが多く、ここが最大です。

<黒地若宮社> 根羽村黒地
 斧入れ・山出し・里曳き・建御柱――3月27日(日)
 杉1本で直径30cm、長さ10m。前々回の御柱を更新します。伐採から建御柱まで1日で全部行います。里曳きの距離は200mほどで、最後に急斜面を曳き上げて神社に入ります。

<秋葉神社> 阿智村伍和
 里曳き・建御柱――4月2日(土)午前中に建御柱
 健御名方命が合祀されています。御柱は2本で直径25cm、長さ5.3m。

<春日神社> 阿智村春日
 里曳き・建御柱――4月9日(土)正午から建御柱
 末社として境内に諏訪社があります。御柱祭は平成10(1998)年から始まり4回目。面白そうだからと始め、氏子総代など数人でやってしまうということです。御柱はヒノキ2本で直径10cm、長さ5mほど。

<神坂神社> 阿智村園原
 里曳き・建御柱――4月10日(日)午前中に建御柱
 サワラ1本で直径15cm、長さ7mほど。前々回の御柱を更新します。近くの山林から伐り出し、ここも十数人でやってしまうようです。

<市の沢諏訪神社> 阿智村駒場
 里曳き・建御柱――4月下旬(未定)
 杉2社で直径15cm、長さ6m。裏山から伐り出し、社殿の裏に建てます。この神社は今でも長岳寺が管理しており、御柱祭でも住職が般若心経を読みます。

<平谷諏訪神社> 平谷村
 里曳き・建御柱――5月14日(土)午前8時から伐採・山出し、10時から里曳き、午後2時から建御柱
 平谷村は人口500人ちょっとで、長野県で最も小さい村。里曳きには出身者や観光客などが加わり、人口を超える人数になります。
 御柱はツガ2本で直径40cm。男木と女木です。
 伐採して皮を剥き、平谷高原スキー場に運んで里曳きを開始。ラッパに合わせて勢いよく曳き、3kmほど曳行する間、休憩所ごとに出し物があって賑わいます。

 …他にも小さな御柱祭がありますが、とりあえず今回の紹介はここまでです。

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