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旧暦と二十四節気(覚え書き)

16020402 今日は立春。晴天に恵まれ、おだやかな暖かい一日でした。一年で一番寒い時期を過ぎて、少しずつ春らしくなっていくでしょう。
 飯田の冬はどのくらいの寒さかというと、中心市街地あたりで氷点下10度まで下がる日が年に1回あるかないかくらいです(もちろん標高の高いところはもっと寒いです)。1987年まではほぼ毎年ありましたが、1988年から1995年までは8年間に1度もなく、それ以後、氷点下10度以下を記録する年のほうが珍しくなっています。2000年から2015年までの16年間では2回しかありませんでした。今年は1月25・26日に記録し、4年ぶりの冷え込みとなりました。それでも1月の平均気温は平年より0.9度高く、全体としては暖冬でした。
 うちの近所の農家の畑ではもう農作業が始まっています。あの畑でいつも春先に作っているのは、確か露地物のリーフレタスだったかと…

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 「旧暦の大晦日と節分」の記事を書いた時に、日本古来の伝統的な年中行事について考えるには、旧暦と二十四節気の関係をきちんと理解することが不可欠だと改めて思いました。あちこちのサイトに似たような説明がありますが、一応信頼できるものとして以下の4つを上げておきます。

 国立国会図書館ホームページ―電子展示会―日本の暦
 海上保安庁海洋情報部ホームページ―天文・暦情報―天文と暦のQ&A
 国立天文台ホームページ―暦計算室―暦Wiki
 国立天文台ホームページ―よくある質問―暦に関する質問

 以下は私の覚え書きです。改めて調べてみると、双春年と無春年の話など面白かったので、まとめてみました(説明を省略したために厳密に言うと正確ではない部分もあります)。

<日本で使われてきた暦・旧暦と新暦>
 日本で使われてきた暦は大きく分けると次のように分けられます。
(A)6世紀半ばから明治5年12月2日(新暦1872年12月31日)まで使われた太陰太陽暦(旧暦)
 (a)貞享元年12月30日(新暦1685年2月3日)まで中国暦(元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、宣明暦)
 (b)貞享2年1月1日(新暦1685年2月4日)から日本独自の暦(貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦)
(B)明治6(1873)年1月1日から使われている太陽暦のグレゴリオ暦(新暦)

 上記の「○○暦」というのは暦法のことで、中国暦といっても毎年の暦の内容まですべて中国で作られたものという意味ではありません。日本で使われた中国暦は当初は百済で作られたものか、百済から来た暦博士が作ったものでしたが、飛鳥時代の推古12(604)年から、中国暦の暦法に従って日本人が作ったものを使ったとされています。
 律令制のもとでは、朝廷の陰陽寮の暦博士が暦の作成を行いました。養老律令(757年施行)の「雑令六 造暦条」に「凡陰陽寮。毎年預造来年暦。十一月一日。申送中務。中務奏聞。内外諸司。各給一本。並令年前至所在」とあり、翌年の暦を11月1日に中務省を通じて天皇に奏聞し、それを諸司に配っていました。

 陰陽寮が作成したのは漢文で書かれた具注暦で、民間には普及しませんでしたが、平安時代末期からそれを仮名で書いた仮名暦が現れました。さらに暦師の移住などで暦を作る知識・技術が流出し、各地で地方暦と呼ばれる暦が作られ、鎌倉時代からは木版で印刷した暦が民間にも出回るようになりました。代表的なものに伊豆の三島暦があり、鎌倉時代に関東では三島暦が使われたと言われています。
 室町時代~戦国時代にあったと見られる暦は京暦、三島暦、会津暦、南都暦(奈良)、丹生暦(伊勢)などです。これらの暦の間では暦日が食い違うことがあり、最も古い例では応安7(1374)年に京暦と三島暦が1日違っていたという記録があります。もっと大きな食い違いでは、閏月の入れ方の間違いによって月がずれたことがあります。京暦は天正11(1583)年1月の後に閏1月を入れましたが、三島暦は天正10(1582)年12月の後に閏12月を入れてしまいました。正しかったのは京暦で、この間違いによって三島暦を使っていた地域では天正11年の始まりが1か月遅れたことになります。ちなみに天正10年は「本能寺の変」のあった年です。
 江戸時代になると伊勢暦、江戸暦、仙台暦なども出てきて、ますます地方暦の種類が増えてきました。そこで幕府は貞享2(1685)年に貞享暦を施行した後、暦を発行する権利を江戸、伊勢、三島、会津、南都などに限るとともに、幕府天文方が作成したもの以外の内容の暦を発行することを禁止して全国の暦を統一しました。
 このうち、全国的に知られ江戸時代を代表する暦になったのが伊勢暦でした。もとは丹生暦を取り入れ、戦国時代に伊勢神宮の御師が全国各地の檀那回りをする時に大麻(お札)と一緒に配り、人気があったそうです。そのうちに地元の山田や宇治で暦を作るようになって伊勢暦が生まれ、江戸時代初期の寛永9(1632)年の暦から印刷して発行するようになりました。
 伊勢暦には1年の日数、月の大小の並びに始まり、その年の方角の吉凶、二十四節気、雑節(土用、節分、彼岸、八十八夜、入梅、二百十日など)が書かれており、この暦の普及にあわせて節分行事なども全国に広がったものと思われます。

 旧暦から新暦への切り替えは、明治政府が明治5年11月9日にいきなり「旧暦を廃して太陽暦を用い、12月3日を明治6年1月1日にする」という改暦の布告を出して強行しました。施行まで1か月もない急な布告で、国民生活に多大な混乱が生じたことは容易に想像できます。
 こんな無茶なことをした理由は、大隈重信(当時参議)の回想録『大隈伯昔日譚』(円城寺清著、1895年刊)によると、旧暦だと閏年には公務員に13か月分の月給を払わなければならないためでした(もう翌年に閏年がせまっていました)。他に、当時は5日に1回が休日だったので、七曜制にして休日を減らすという目的もありました。
 切り替えの理由は理解できますが、本来はもっと十分に余裕をもって国民に知らせる必要があるはずで、こういう強引なやり方はいかにも明治政府らしいところです。

 現在の日本の暦は国立天文台天文情報センター暦計算室が計算し、暦要項に春分の日・秋分の日、日曜表、二十四節気、朔弦望、日食・月食などの情報をまとめて発表しています。

<旧暦(太陰太陽暦)とは>
 太陰太陽暦では、まず月の満ち欠け(平均約29.5日周期)に合わせて1か月の始まりと終わりを決めます。毎月1日は新月の日で、1か月は29日(小の月)か30日(大の月)になります。
 これで12か月(多くは小の月と大の月が6回ずつ)を1年とすると、1年が約354日しかなく、太陽の動き(季節)と暦が年ごとにどんどんずれていってしまいます(16年ぐらいで夏と冬が逆転し、32年ぐらいで1周して元に戻ります)。そこで19年の間に7回の閏月を入れて、季節とのずれが一定以上に広がらないようにします。平年は12か月で353~355日しかなく、閏年は13か月で384~385日もあります。
 あとはどの月を何月にするかですが、立春前後に元日が来て11月に冬至が来るように決めました。具体的には、二十四節気の雨水がある月を1月にし、他の月も同様に決めます。こうすると、元日は必ず立春の前後十数日以内に入る新月の日になります。
 (正節) (中気)
  立春  雨水  雨水がある月を1月にする
  啓蟄  春分  春分がある月を2月にする
  清明  穀雨  穀雨がある月を3月にする
  立夏  小満  小満がある月を4月にする
  芒種  夏至  夏至がある月を5月にする
  小暑  大暑  大暑がある月を6月にする
  立秋  処暑  処暑がある月を7月にする
  白露  秋分  秋分がある月を8月にする
  寒露  霜降  霜降がある月を9月にする
  立冬  小雪  小雪がある月を10月にする
  大雪  冬至  冬至がある月を11月にする
  小寒  大寒  大寒がある月を12月にする
 小の月は29日なので、二十四節気の中気の間隔より短く、時々、中気のない月が発生します。その月が閏月になります。
 最初に明確にこのように決めたのは中国の太初暦で、前漢の太初元(紀元前104)年から使われました。
 新月の時刻は経度によって変わるので、同じ太陰太陽暦でも日本の暦と中国の暦は若干違うものになります。

<紀元前の中国で生まれた二十四節気>
 中国では古代王朝の時代から太陰太陽暦が使われていたと考えられています。
 太陰太陽暦では季節と暦のずれは一定の範囲内に収まりますが、それでも年によって30日近く前後します。これでは農業などに不便なので、中国では古代から太陽の動きを観測して夏至や冬至、春分、秋分などを知り、太陰太陽暦とあわせて使いました。これが発展して二十四節気ができました。二十四節気は実質的に太陽暦そのものなので、太陰太陽暦を使いつつ補助的に太陽暦を併用していたとも言えます。
 二十四節気は中国の戦国時代(紀元前4~3世紀)の間に徐々に整備され、前漢の太初暦が使われ始めた頃にはすでに確立していました。立春、雨水、啓蟄…と続く二十四節気の名称は当時から今までほとんど変わっていません。

<旧暦の元日と立春の関係・双春年と無春年>
 「旧暦は立春が元日で節分が大晦日だった」というのは時々見かける誤解(それでは実質的に太陽暦)ですが、実際に旧暦の元日と立春の日が重なるのは平均して30年に1回くらいで、「朔旦立春」と呼ばれて非常に縁起の良い日とされています。前回は1992年で、次回は2038年です。
 旧暦では元日は立春の前後十数日以内にあり、逆に旧暦の元日からみると、立春は新年の年初にあったり前年の年末にあったりします。旧暦の閏年で年初に立春がある場合、年末に必ずまた立春が来て、立春が年に2回あることになります(双春年)。逆に立春がない年も出てきます(無春年)。双春年は縁起が良く、無春年は縁起が悪いなどと言うこともありますが、双春年も無春年もしょっちゅうあるので気にしても意味がないでしょう。
 例えば今年は立春過ぎの2月8日が旧暦の元日で、来年の1月27日に旧暦の大晦日が来るので、無春年にあたります。一方、来年は旧暦の閏年で双春年になります。近年を見ると、2012年、2014年、2017年、2020年は双春年、2013年、2016年、2019年、2021年は無春年です。

<新暦と旧暦の元日のずれ>
 旧暦の月は新暦の月より1か月くらい遅れていますが、これは太陰太陽暦と太陽暦の違いではありません。元日の決め方の違い(文明の違い)です。
 太陽暦でも立春の日を元日と決めれば、旧暦の元日とのずれは前後十数日以内に収まります。しかし西洋(キリスト教圏)では春分の日を3月21日にすると決めました。日本もその暦を導入したために立春の日は2月4日あたりになり、旧暦の元日は平均して1か月以上、新暦の元日より遅れることになりました。
 旧暦の元日は早くて新暦の1月21日、遅くて新暦の2月20日になります。
 日本では昔から1月から12月までを順に睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走と呼んできましたが、これらは旧暦にあわせて使っていたものなので、新暦にあわせて使うと違和感のある月もあります。また季節の行事の中にも新暦にはそぐわないものがあります。
 なお、これらの月の名前は日本書紀や万葉集にも出てくるなど、かなり古くから使われていますが、その多くの起源や意味は不明です。辞典類などでもっともらしい説明を見かけることがありますが、ほとんどはマユツバです。これも書いてみると面白そうですが、やめておきます。

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