ごあいさつ

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 「日本のふるさと」信州飯田から四季おりおりの話題、見所・イベント情報などをお届けします。
 時には私の趣味の話や雑感も。どうぞよろしくお願いします。

 ※公開済みの記事でも、しばしば後から修正したり書き足したりします。
  記事内容へのご質問などはコメントでどうぞ(コメントの公開は承認制です)

飯田周辺の銘桜―その4

 飯田中心市街地の銘桜が次々に開花しています。明日9日の日曜日はまだ少し早いかもしれませんが、来週あたりが見ごろになりそうです。
 今回は一本桜以外のいわゆる花見の名所を紹介します。

<大宮通り桜並木>写真右
17040801 昭和22(1947)年4月の飯田大火の後、防火都市づくりの一環として、市街地を大きく「田」の字に区切るグリーンベルトが設けられました。そのうち飯田動物園から大宮諏訪神社にかけて南北にのびるグリーンベルトが並木通りで、その南半分が飯田市のシンボル「りんご並木」、北半分が「大宮通り桜並木」です。現在の飯田のソメイヨシノ観測の標準木はこの桜並木の中にあります。
 桜並木は約700mの間に約150本の桜があります。なかでもロータリー交差点から大宮諏訪神社までの部分は中央分離帯だけでなく道路両側の桜も大きく育っており、開花時は花のトンネルになります。
 南端の人形時計塔付近のエドヒガンが最も早く開花し、この桜は最近「吾妻一番桜」とも呼ばれるようです。そこから北へと開花が進むため、比較的長い間、並木のどこかが見ごろになります。盛りを過ぎた後の花吹雪も風情があります。
 この桜並木をコースに入れつつ、「安富桜」、「桜丸の夫婦桜」、「黄梅院の紅枝垂れ桜」、「正永寺の枝垂れ桜」、「専照寺の枝垂れ桜」、「清秀桜」などの銘桜をめぐって散策するのがおすすめです。
 秋の紅葉や枝に雪が積もった冬の景色も美しく、「りんご並木」ともども四季それぞれの景色を楽しんでいただきたいところです。
 9日は午前9時から午後3時まで桜並木一帯で「桜祭り」が催されます。

<今宮の桜(城山の桜)>
 飯田市今宮町4の今宮郊外八幡宮や今宮球場の周辺には約千本の桜があるといわれ、中心市街地からも近い花見の名所になっています。昭和22(1947)年4月の飯田大火の後、この一帯に仮設住宅が建てられ、そこで暮らした市民たちがお礼に桜を植えたといわれています。
 背後の丘陵は城山と呼ばれ、かつて飯田工業高校があり、現在は「かざこし子どもの森公園」となって多くの市民でにぎわう憩いの場所になっています。こちらの公園には広い駐車場もあり、家族で公園で遊びがてら花見を楽しむのがおすすめです。

<飯沼石段桜>
 飯田市上郷にある飯沼諏訪神社の長い石段の両脇には、推定樹齢120~150年といわれる山桜など数十本の桜があり、開花時には桜のトンネルになります。
 飯沼諏訪神社のことは昨年、「飯田周辺の御柱祭(中)」の記事で紹介したとおり、段丘先端の城跡に建てられた神社で、段丘崖に300段余りの石段が設けられて表参道になっています。
 飯沼神社の桜として昔から近隣住民に親しまれてきました。「飯沼石段桜」という名称が付けられたのは近年です。
 例年の見ごろは4月上旬。駐車場は神社周辺にはないと思ってください。神社裏側にあたる段丘上の上郷体育館あたりの駐車場を利用し、高陵中学校の北側の細道を抜けて境内に入る道がありますが、分かりにくいかもしれません。

<松川プール>写真右
17040803 飯田市鼎中平の松川右岸と、その脇にある松川プールの周辺には多くの桜が植えられており、昔から近隣住民に親しまれてきた花見の名所です。
 現在は鯉が泳ぐ大きな池ですが、元々は松川から水を引き込んでつくったプールで、小中学校の体育の授業などで使われていました。プール周辺にも松川堤防にもかなりの古木が立ち並んでいます。堤防沿いの桜の名所は他にもありますが、池などの水場の近くにある桜の名所はこの地域では珍しい存在です。
 例年の見ごろは4月上旬。

<佐倉様の桜>
 飯田市北方の佐倉神社の周辺には推定樹齢200~250年の枝垂れ桜4本を中心に多くの桜があり、昔から花見の名所になっています。
 佐倉神社は地元では「佐倉様」と呼ばれ親しまれています。国道153号の飯田インター西交差点から、インターと反対方向の山側の細道に入り、急な斜面をずんずん上っていった先に、駐車スペースとなる広場があります。神社はこの広場からかなり上った場所で、近くを信濃路自然歩道のルートが通っています。背後にある笠松山の登山口もこの近くです。
 桜があるのは広場周辺で、この広場から神社にかけては眺望がよく、南アルプスと伊那谷を一望に見渡すことができます。元旦早朝、ご来光を拝むためにここに上ったこともあります。
 例年の見ごろは4月中旬。駐車スペースはそこそこあります。

<大西公園の桜>写真右
17040805 大鹿村大河原の大西公園にはソメイヨシノを中心に約120種、約3千本の桜が植えられています。公園から小渋川上流方向に見える山は、まさに南アルプス赤石岳。満開の桜ごしに残雪の赤石岳を望むロケーションは、ここでしか見られない秀景です。
 昭和36(1961)年6月に伊那谷を襲った集中豪雨(三六災害)で大西山の山肌が大崩落し、小渋川の濁流を巻き込んだ土砂が対岸の集落をひと呑みにして42人もの犠牲者を出しました。途方もない大量の土砂は取り除きようもなく、そのまま小山となって残りました。背後の大西山には今も崩落の跡が生々しく残り、土砂によって小渋川の流れが変わったことも見て取れます。
 その大災害の傷跡に、犠牲者の鎮魂のためにと桜を植え始めた村民があり、荒涼とした土砂の山はいつしか一面の桜におおわれていきました。次第に村も公園として整備に力を入れ、桜の名所として全国的にも認められる公園になりました。「日本さくらの女王」も何度かこの地を訪れています。
 「三六災害」から今年で56年。桜の樹も大きく育ち、見事な桜の公園になりました。開花期前後には売店がオープンします。15日午前10時から午後3時半まで「大鹿さくら祭り」が催され、開会セレモニーで第11代「大鹿さくらの女王」のお披露目があります。
 例年の見ごろは4月中下旬。松川町中心部から車で40分ほど、飯田市中心部からだと1時間ほどかかります。公園入口まできれいに道路が整備され、広い駐車場があります。

 「大鹿歌舞伎が国重要無形民俗文化財に」の記事で紹介したとおり、大鹿村の大磧神社では5月3日に「大鹿歌舞伎・春の定期公演」があります。その前の4月29日には上蔵の信濃宮で、宗良親王をしのぶ「李花の祭り」も催されます。
 今まで書き忘れていましたが、大鹿村は平成17(2005)年に発足した「日本で最も美しい村」連合のオリジナルメンバー(全国7町村)の1つ。日本の原風景の自然と風土をたっぷり残しています。

 (つづく)

飯田周辺の銘桜―その3

17040701 飯田周辺には100本近い銘桜があると書きました。一本桜の他に、沿道・沿川の桜並木や、いわゆる花見の名所も多く、それらを合わせると100か所をはるかに上回ります。
 今回は飯田中心市街地から離れた場所にある一本桜を中心に、足を運んで絶対に損のない銘桜を厳選して紹介します。いずれも山里にあり、周囲のロケーションとセットでポイントの高い桜です。

<氏乗の枝垂れ桜>写真左
 喬木村氏乗の小学校分教場跡にある巨大な枝垂れ桜です。
 明治42(1909)年に喬木第二尋常高等小学校氏乗分教場の入学記念樹として植えられたものと伝えられています。喬木村天然記念物。
 高さ22mの樹上から地面近くまで、数m以上にもなる長い下垂枝が垂れ下がっています。花は八重咲きで、濃い紅色です。私が見に行った時は樹下の斜面にスイセンが植えられていて、桜のピンクとスイセンの黄色、周囲の緑、青い空の対比が見事でした。
 分教場は昭和33(1958)年まで使われましたが、校舎は残っていません。グラウンドだった広場の周囲に、この桜の他にも何本かの桜があります。
 例年の見ごろは4月上中旬。近くの宇治三柱神社は4月中旬に例祭があり、獅子舞が出ます。
 飯田市中心部から喬木村中心部を経て、三遠南信自動車道矢筈インター・遠山郷方面に向かって進む途中に通る場所で、行けばすぐに目に入ります。飯田市中心部から車で30分ほどかかりますが、十分に見に行く価値があります。駐車場はあまりないので、十分注意して邪魔にならない安全な場所に駐車してください。

<杵原学校の枝垂れ桜>写真右
17040702 飯田市竹佐の旧山本中学校の校舎前に立つ枝垂れ桜。山里の高台に、木造校舎(登録有形文化財)を背景に桜が咲き誇る懐かしい風景は郷愁を誘います。
 山本中学校は昭和60(1985)年に統合により廃校に。校舎は昭和24(1949)年に建てられたもので、廃校後も地元住民の手で保全され、戦後の新制中学校の校舎としては全国で初めて国の登録有形文化財になりました。山田洋次監督・吉永小百合主演の映画「母べえ」、「母と暮せば」のロケ地として相次いで使用されたこともあります。
 この木造校舎を整備・活用しつつ後世に残そうと、平成17(2005)年に地元有志数十人が「杵原学校応援団」を設立。校舎を拠点に、授業体験、こども農業体験、里山体験教室、山本学講座などのイベントを展開しています。
 平成23(2011)年から「杵原学校桜フォトコンテスト」を開催し、山田映画で撮影監督を務めている長沼六男氏(飯田市出身)が審査委員長を務めています。
 例年の見ごろは4月上中旬。中央道飯田山本インターのほど近く。駐車場あり。

<笹見平のしだれ桜>写真右
17040703 豊丘村河野堀越にある枝垂れ桜。エドヒガン系で高さ13m、枝張り15m、均整の取れた美しい樹形で、周囲の尾根筋と空を背景にした立ち姿は独特の魅力があります。推定樹齢400年。
 堀越はマツタケ産地として知られる山間部で、集落を結んでぐるぐると山をめぐり尾根筋を走る道路のわきにこの桜があります。「笹見平」というのはこの集落の名称でもあり、地主さんの屋号でもあるとのことです。
 鎌倉時代末期、護良親王(後醍醐天皇の皇子)に仕えていた村上義光が元弘3(1333)年に幕府方と戦って自刃した後、残った一族が北信濃に落ち延びる途中で堀越に定住し、義光の墓を作って桜を植えたという伝説があります。
 実際のところは、ここの地主さんのご先祖がこの土地に移り住んで亡くなった人々を葬った場所に墓標変わりに植えたものだそうで、桜の周辺は地主さんの墓地になっています。
 例年の見ごろは4月中旬。飯田市中心部から車で35分ほど。付近の道路わきに普通車数台くらいなら駐車できるスペースがあります。地主さんが温かく迎えてくれますが、あくまでも個人の所有地だということをわきまえて行動しましょう。

<黒船桜>写真右
17040704 阿智村清内路にある枝垂れ桜で、ペリー来航時に植えられたと伝えられています。阿智村天然記念物。
 国道256号を木曽方面に向かって進み、清内路小学校の手前で左の細道に入って下り、橋を渡ったところにあります。
 高さ20m、横への広がりも大きく、黒船さながら周囲を圧倒する堂々たる姿です。
 毎年、有志の手でライトアップが行われています。
 あまり知られていませんが、冬の雪化粧も見事。年によっては4月中旬に花の上に雪が積もることもあります。
 例年の見ごろは4月中下旬。飯田市中心部からは車で50分ほど。
 清内路地区にはこのほか「清南寺の夫婦桜」、「説教所の大桜」(ともに阿智村天然記念物)などの銘桜もあります。

<駒つなぎの桜>写真右
17040705 阿智村智里「園原の里」に立つエドヒガンの古木。標高800mほどの高い場所で、開花時期は平地よりかなり遅くなります。阿智村天然記念物。
 こちらは東山道・園原ビジターセンターはゝき木館ホームページの「駒つなぎの桜」開花情報です。3年前の分から、開花期前後に日を追って撮影した写真が見られます。
 園原は古代東山道が通っており、日本武尊が東征帰路に越えた神坂峠や、源氏物語の巻名で知られる「ははき木」などがある歴史ロマンの里です。
 「駒つなぎの桜」は、源義経が奥州に下る時に馬をつないだという伝説があり、この名で呼ばれています。推定樹齢400~500年で、義経とは時代が合わないのですが、伝説なので仕方ないですね…
 高さ約20m、太い幹から大きな枝が扇状に広がっています。平成16(2004)年に台風で数本の枝が折れる大きな被害を受けたりもしましたが、まだまだ美しい樹形を保っています。
 すぐわきに水田があり、以前は水を張った田に鏡のように満開の花が映る姿が人気でした。残念ながら近年は樹の生育状況に配慮して田に水を張らない年が多くなり、今年も予定はないとのことです。
 付近に駐車場はありません。道路が細くて車のすれ違いも困難なので、600mほど手前にある「はゝき木館」に駐車して歩きます。例年の見ごろは4月下旬。ライトアップあり。飯田市中心部からは車で50分ほど。

 以上のほか、同じ町村の中にあって一度に回るのに比較的都合が良い銘桜をいくつか紹介しておきます。

▽松川町=円通庵の枝垂れ桜、原田の桜、円満坊の桜
▽高森町=新田原の江戸彼岸、瑠璃寺の桜、松源寺の桜
▽阿南町=愛宕様の小彼岸桜、瑞光院の枝垂れ桜
▽売木村=観音堂の桜、大入の枝垂れ桜

 (つづく)

飯田周辺の銘桜―その2

 現在の飯田に一本桜の名木が多い理由の1つは、江戸初期の飯田藩主・脇坂氏2代(安元、安政)の治世に由来します。飯田城下町が本格的に形成されたのは安土桃山時代以降ですが、その頃から江戸初期にかけて現在の中心市街地の骨格となる町割りがつくられ、同時に周辺から多くの寺社が集められました。

 脇坂安元は元和3(1617)年に飯田藩主となり、慶安年間(1648~52)に桜町1~3丁目を新設して飯田城下18町を完成させました。また行政の中心となる飯田城の城郭や藩の施設、侍屋敷などを整備しました。
 桜が好きだったようで、藩主の邸宅を建てた際にまわりに多くの桜を植えたため、その曲輪は「桜丸」、その邸宅は「桜丸御殿」と呼ばれるようになりました。安元は当時、武家では第一の歌人としても知られた人物です。

 安政は老中堀田正盛の次男で、跡継ぎを失った安元に養嗣子として迎えられ、安元の死後、寛文12(1672)年に播磨龍野藩に転封されるまで飯田藩主を務めました。転封先の龍野でも「播磨の小京都」と呼ばれる城下町を築きました。
 安政は安元の菩提を弔うために阿弥陀寺に千体佛観音堂を建立し、「阿弥陀寺の枝垂れ桜」を植えました。また安政は兄の菩提を弔うため、「弥陀の四十八願」にちなんで城下48寺に桜を植えたと伝えられ、「正永寺の枝垂れ桜」、「黄梅院の枝垂れ桜」、「専照寺の枝垂れ桜」、「元善光寺の紅枝垂れ桜」などがそれに当たるとされています。

   ☆   ☆   ☆

 きょう4月6日、「大宮通り桜並木」の標準木が開花し、飯田の桜の開花となりました(平年より2日遅れ)。今回は中心市街地の桜を中心に、おもな銘桜をだいたい開花・見ごろの時期が早い順に紹介します。早いものはすでに開花が始まっており、今週末にも見ごろを迎えると思います。

 中心市街地の5本(その1で紹介した「安富桜」を含めて6本)は、市街地の散歩がてら歩いて見て回ることも可能です。周辺部の5本(その1で紹介した「麻績の里 舞台桜」を含めて6本)は車で移動することが必要です。中心市街地は駐車場が豊富にありますが、周辺部は駐車場がせまかったり離れた場所にある場合もあるので注意してください。

<水佐代獅子塚のエドヒガン(水城お立ち符の桜)>
17040601 飯田市松尾水城(みさしろ)の水佐代獅子塚古墳の上に立つエドヒガン。開花時期が早く、この桜の数日後に中心市街地の桜が一斉に開花すると言われています。高さ約17m、枝張りは東西20mに及びます。推定樹齢350年。飯田市天然記念物。
 地元では「お立ち符の桜」と呼ばれています。これは津島神社の護符を立てたことに由来します。水佐代獅子塚古墳は墳丘54.2mの前方後円墳で、古墳時代中期に造られたと考えられています。昨年、国史跡に指定された飯田古墳群の13基の古墳の1つです。
 JR伊那八幡駅から北側の踏切を越えて東に300mほど進むと、左手にあります。駐車場あり。

<正永寺の枝垂れ桜>写真右
 正永寺(飯田市江戸町3)の本堂の前にある枝垂れ桜。高さ約15m、推定樹齢400年。上記のとおり脇坂安政によって植えられた48本の桜のうちの1本とみられています。
 正永寺は天保3(1832)年と明治35(1902)年の2度にわたり火災で本堂を失いましたが、飯田大火は免れ、桜は生き残りました。幹の上部から地面に届くほど大きく垂れた枝に滝のような花を咲かせます。かつては両側に枝が垂れていましたが、今は片側になっています。幹の傷みが目立ちます。
 下記の黄梅院は東隣、専照寺もすぐ近くで、この3か所は無理なく歩いてまわれます。

<くよとの枝垂れ桜>写真右
17040602 飯田市毛賀の旧遠州街道のわきにある枝垂れ桜で、斜面の下に向かって大きく伸びた枝が旧道をおおっています。高さ約15m、推定樹齢350年。飯田市天然記念物。
 「くよと」は桜の下に建てられている「供養塔」がなまったものといわれています。室町~戦国時代の戦乱による死者の霊をなぐさめるために供養塔を建てたとも、脇坂氏が飯田城主だった時代に付近の住民が桜を植えたとも伝えられています。桜の下には秋葉様などの石碑と2基の常夜灯があり、地元住民の手で絶やすことなく燈明が灯されています。
 360度どこから撮っても絵になる桜で、残雪の南アルプスを背景にした構図も外せません。
 JR毛賀駅あたりの国道151号から高台側に向かって細道を入っていった先ですが、詳しい地図を見ないと分からないと思います。桜の近くには駐車場がまったくないので注意してください。適当に駐車できる場所を探して車を置き、歩いていくしかありません。

<清秀桜>写真右
17040603 愛宕神社(飯田市愛宕町)の境内にあるエドヒガンの古木。仁治元(1240)年に清秀(せいしゅう)法印が植えたと伝えられ、樹齢は約780年。飯田市内最古の桜で、飯田市天然記念物。
 高さ8mと低く、古いだけに幹は傷みが目立ちますが、横に大きく伸びた枝には今でもたくさんの花が咲きます。
 動物園西隣の駐車場を利用するのがおすすめです。

<桜丸の夫婦桜>
 県飯田合同庁舎(飯田市追手町2)の東側にあり、エドヒガンと枝垂れ桜が寄り添って1本に見えることから「夫婦桜」と呼ばれています。高さ約20m、推定樹齢400年。
 ここは飯田城の桜丸御殿(藩主などの邸宅)があった場所で、江戸初期に脇坂安元が屋敷を建て、曲輪に多くの桜を植えたことから「桜丸」と呼ばれるようになりました。
 桜丸御殿の南側に宝暦4(1754)年に建てられた門が飯田城桜丸御門で、現在「赤門」と呼ばれているものです。
 土日祝日は合同庁舎の駐車場が開放されています。

<黄梅院の紅枝垂れ桜>写真右
17040604 黄梅院(飯田市江戸町3)の山門わきにあるベニヒガン系の枝垂れ桜。紅梅かと思うほど濃い紅色の花が特徴。高さ約18m、推定樹齢400年。飯田市天然記念物。
 古木にもかかわらず樹勢の衰えを見せず、傘状に枝が垂れた典型的な枝垂れ桜の樹形で、色も形も秀逸です。古い枝に代わって伸びた新しい枝が現在の整った樹形を形成しているとのことです。

<阿弥陀寺の枝垂れ桜>
 阿弥陀寺(飯田市丸山町2)境内の枝垂れ桜で、上記のとおり飯田城主脇坂安政お手植えの桜と伝えられています。高さ11m、推定樹齢400年。飯田市天然記念物。
 これも古木ながら樹勢盛んで、枝張りは東西14m、南北18.5mの広がりがあり、品格を感じさせます。花はつぼみから開花直後あたりまで赤みがありますが、次第に淡い色になります。
 中心市街地から大平街道を西に向かい、中央道を越えて少し山側に入ったあたり。駐車場あり。

<増泉寺の天蓋枝垂れ桜>写真右
17040605 増泉寺(飯田市大瀬木)境内の枝垂れ桜。推定樹齢300年。ドーム状に広がる枝にピンク色の花が咲き、境内をいっぱいにおおいます。思わず中に入って見上げたくなりますが、根元を踏むのは厳禁です。
 中心市街地から国道153号を阿智村方向に進み、中村交差点の手前で右折して細道に入り、少し山側に上ったあたり。駐車場あり。

<専照寺の枝垂れ桜>
 専照寺(飯田市伝馬町2)の本堂わきにある枝垂れ桜。高さ約10m、推定樹齢400年。
 釈迦如来像をおおうようにピンク色の天蓋が広がる。山門は小笠原家住宅の鼓楼門を移築したもので、屋根の上に鐘楼が乗る珍しい構造をしています。参道からこの山門を額縁に見立てて桜を見る構図もあります。

<立石寺前のシダレザクラ>
 立石寺(飯田市立石)の前に立つ枝垂れ桜の老木。鎌倉時代に植えられたともいわれ、飯田市内で清秀桜に次いで2番目に古い桜といわれています。飯田市天然記念物。
 高さ8m。すでに幹が失われ、樹皮のみで生命を保っている状況ですが、今なお春には花を咲かせます。元は「立石寺ゆかりの三本桜」と呼ばれる3本の桜がありましたが、現存するのはこれ1本です。

 (つづく)

飯田周辺の銘桜―その1

 きょう4月5日、天龍峡と市街地周辺の一部の桜が開花しました。明日あたり、中心市街地の「大宮通り桜並木」の標本木(ソメイヨシノ)も開花するのではないでしょうか。平年(4月4日)より少し遅い程度ですが、近年は3月下旬に咲くことが多いので、ずいぶん遅く感じます。市街地周辺など平地では、今週末から来週にかけて一斉に見ごろを迎えるでしょう。

 開花情報は飯田市ホームページの「さくらさく」をご覧ください。おもな銘桜の地図や交通案内もあります。
 南信州広域連合と飯田観光協会が運営する「南信州ナビ」ホームページの観光―桜コーナーにも、32か所の桜が紹介されています。

17040501 飯田周辺には桜の古木・銘木や名所がたくさんあり、近年、人気を集めています。県や市町村の天然記念物に指定されているものが20件以上。さらに昔から知られる銘桜に加え、近年新たに名前がつけられた桜もあり、その数は100近くに上ります。
 桜前線はおおむね南から北へと進むものですが、この地域ではそれ以上に標高の影響が大きく、平地から山の上へと次第に桜前線が上ります。早いところと遅いところでは開花や見ごろの時期が1か月前後も違い、市街地から少し足を延ばせば、長期間さまざまな桜を見られるのもこの地域の特長です。

 樹齢数百年以上になる木もあるとはいえ、桜も寿命のある生き物なので、古くなると勢いも衰え、傷も目立ってきます。古いほどいいというものではないので、初めて訪れる方は、まずは勢いのある盛木を楽しむことをお勧めします。それから古木にも足を運んで、風雪に耐えてきた年月を思い、それぞれの味わいを楽しんでください。

   ☆   ☆   ☆

 現在の飯田でもっとも見応えのある銘桜といえば、まずは「安富桜(長姫の江戸彼岸)」と「麻績の里 舞台桜」の2本で異論はないでしょう。

<安富桜>写真右上が昼、右下がライトアップ
 中心市街地の飯田市美術博物館(飯田市追手町2)の前庭にあります。ここは飯田城二の丸の跡で、ここに住んでいた飯田藩(堀氏)家老の安富氏が植えた桜と伝えられています。「安富桜」と広く一般に呼ばれるようになったのは近年で、長野県天然記念物としての登録名は「長姫のエドヒガン」です。
 堀氏が脇坂氏に代わって藩主として飯田に入ったのは寛文12(1672)年なので、その直後に植えられたとすると、推定樹齢350年前後になります。すでに古木といえる樹齢ですが、まったく衰えを感じさせず、まさに今が盛りの風情。樹高20m、幹回り数m、地上から高さ2.2mほどのところで大きく4本に枝分かれし、四方に枝を広げて堂々たる樹形を形成しています。例年の見ごろは4月上中旬です。

17040502<麻績の里 舞台桜>写真左上が昼、左下がライトアップ
 飯田市座光寺自治振興センターの裏側の高台、旧座光寺麻績学校校舎(県宝)の前庭にあります。以前は「旧座光寺小学校の枝垂れ桜」と呼ばれていましたが、平成17(2005)年に改めて「麻績の里 舞台桜」と名付けられました。
 旧麻績校舎は明治7(1874)年に建てられて昭和60(1985)年まで使われた小学校の建物ですが、1階が芝居舞台、2~3階が学校という変わった構造をしています。明治初期、この地域では地芝居(農村歌舞伎)が流行っていて、ここでも先に舞台を建設する計画が決まっていましたが、学校も必要になり、舞台と学校を合体させて建てたのだそうです。現存する県内最古の木造校舎で、舞台も県内最大規模です。桜の名前はこの校舎にちなんだものです。
17040503 この桜は半八重彼岸枝垂れ桜という特殊な種類で、財団法人「日本花の会」によって新品種と判定されました。1本の木に5~10弁の花(正確には、5弁花で、雄しべが花弁に変化した旗弁がいくつか混ざる)が咲きます。平成16(2004)年に花弁の出現率を調べたところ、5弁花15%、6弁花33%、7弁花25%、8弁弁19%、9弁花7%、10弁花1%で、10弁花はなかなか見つからないようです。飯田市天然記念物です。
 推定樹齢350年とされています。例年の見ごろは4月上旬。今年は8・9日に桜祭りがあり、小学生による桜ガイド、邦楽演奏、茶席などが予定されています。

 なお「麻績の里 舞台桜」の近くに、「麻績の里 石塚桜」(写真右)と名付けられた桜もあります。石塚1号古墳という6世紀後半の円墳の上に立つ、推定樹齢250年の枝垂れ桜です。

 (つづく)

飯田の桃の節句は月遅れ

 3月21日午前、全国(沖縄などを除く)で最も早く東京都心で桜(ソメイヨシノ)の開花が確認されました。きょうは24日。そろそろ九州や東海からも開花便りが届くのではないでしょうか。
 東京の開花は平年より3日早かったということです。気象情報各社の予想はおおむね23~25日だったので、予想より早い開花でした。東京が全国トップだったのは9年ぶりですが、9年前(2008年3月22日)は熊本、名古屋、静岡と同日で、東京単独のトップはあまりないと思います。開花の平年値が早いのは四国の高知(3月22日)、九州の熊本(3月23日)、福岡(同)、東海の静岡(3月25日)など。九州~東海の開花は平年並かやや遅くなりそうですが、3月末までに九州~関東南部の多くの地域で開花することでしょう。
 東京で21日に開花したのは、全国的に見ても特異的に早かったと言えます。…というか、都心の気象はかなりおかしくなっていると思います。

17032401 飯田の桜の開花予想(日本気象協会3月23日発表)は4月5日。3月初めの予想は4月1日でしたが、だんだん遅くなりました。平年値は4月4日ですが、近年は3月下旬に開花することが多く、今年は1週間~10日ほど遅い感じです。

 さて、今回は桃の節句の話。飯田周辺では桃の節句は月遅れで4月に入ってから祝います。実際、桃が開花するのはちょうどその頃になります。この地域は果樹産業が盛んで、桃も名産の一つ(味は他の有名産地に負けない自信があります)。4月初め、山里の桃園がピンクに染まる光景はなかなかきれいです。

 例によって東アジア古来の暦法の考え方に従い、立春(今年は新暦2月4日)を元日と考えると、桃の節句の3月3日は新暦4月6日にあたります。4月3日とは3日ずれますが、例年まさに桃の花盛りの頃で、月遅れの考え方は日本の実際の四季の移り変わりとかなりマッチしています。
 この月遅れの桃の節句に合わせ、飯田市~阿智村~平谷村~根羽村~愛知県豊田市稲武・足助地区の国道153号沿線では「中馬ぬくもり街道ひな祭り」というイベントが行われ、観光施設や商業施設でひな人形の展示が行われています。長野県の入口にあたる根羽村の「ねばーらんど」では、通路に「二千体吊るし雛」(右の写真)が飾られています。

17032402 このイベントの他にも各地にひな人形が飾られています。『「おんな城主 直虎」亀之丞の潜伏地』の記事で紹介した高森町の歴史民俗資料館「時の駅」でも、例年この時期に企画展「ひな人形と美人画」(左の写真)を行っています。
 この資料館では、町の古墳から出土した日本最古の貨幣「富本銭」などを展示しています。また現在は大河ドラマ「おんな城主直虎」関連で、追っ手を逃れてこの地で成長期の12年を過ごした亀之丞(井伊直親)のゆかりの品も展示しています。開館日や入館料などについては高森町歴史民俗資料館「時の駅」ホームページでご確認ください。

 ところで、ひな人形を飾る時に迷うのが男雛と女雛の左右。「時の駅」の展示を見ていたら、「現在はどちらでもいい」と書いてありました。
 ひな人形には「左近の桜」と「右近の橘」もありますが、これはお内裏様から見た左右なので、「左近の桜」を向かって右、「右近の橘」を向かって左に飾ります。京都市の左京区、右京区が地図で見ると左右逆になっているのと同じで、これらの左右は明確ですね。では男雛と女雛はどうなるのでしょう。

 日本では古来、左が上位(例えば左大臣と右大臣なら、左大臣のほうが上位)なので、元々は男雛が左(向かって右)、女雛が右(向かって左)でした。では女帝だったら逆かという話はおいといて…
 それが左右逆になったのは明治時代になってから。西欧で国王と王妃が並ぶ時は、日本古来とは逆に、国王が右(向かって左)、王妃が左(向かって右)に並ぶことになっていて、明治天皇と皇后が写真を撮る時、その西欧式にならった並び方をして、それが全国に広まったと言われています。

 そういう経緯で、全国的には近代式で男雛を向かって左に飾るのが一般的になりました。しかし京都は今も古式で、男雛を向かって右に飾るそうです。そんなふうに国内に両方の飾り方が混在しているので、現在は「どちらも正しい」ということになっているようです。
 地域のほか、家庭によっても飾り方が違うかもしれませんね。みなさんのご家庭はいかがでしょうか。

 次回は飯田の桜を紹介します。

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